御岩神社参拝、参道を歩く ― 御岩山、神々の坐す山③

 

こんばんは。
このブログをご覧くださいまして、誠にありがとうございます。

さて、今回は、前回の続きで、御岩神社に参拝したときのお話です。

上に掲げたのは、御岩神社内にある境内図です。
前回は御岩神社にタクシーで向かうところで話を終えていますが、今回は神社に到着して、この境内図にある大鳥居から楼門を通って斎神社回向殿御岩神社に到り、お祓いを受けたところまでを書いていきたいと思います。
なお、今回も、日本酒やお店のお話は出てきませんのであしからず。

 

〇 御岩神社到着と祈祷受付

11時ちょっと前くらいにタクシーに乗った管理人、11:10ちょっとすぎくらいに神社に到着しました。
神社は、県道36号線から少し入ったところにあるため、県道沿いで停めてもらおうと思ったのですが、運転士さんは神社の鳥居前まで運んでくれました。
その鳥居がこちら。

GWだけあって、結構たくさんの人がお参りに訪れています。
この鳥居の手前左には社務所がありまして、祈祷の受付はそちらで行います。

巫女さんに名前と住所を確認され、最後に、御札の確認。
指示されたところを見ると、確かに、大きめの御札がありました。家に帰ってまじまじと見ると、おそらく、縦40~50cmほど、横10~15cmほどの大きさ。
が、管理人の目には、背負っているリュックに入るくらいの大きさに見えたため、あの大きさなら背負って持って帰れるだろうと思い、当初伝えた通りでいいですと伝えて、初穂料を収めて受付を完了させました。

受付が終わると巫女さんからは、15分前くらいから拝殿の隣にある参集殿に入れます的な案内をされます。
その時間までには30分くらいあるので、境内のあれこれをゆっくりと見て回りながら、拝殿まで向かうことにしました。

 

〇 鳥居から楼門へ

先ほどの写真の鳥居をくぐってしばらく歩くと、まず目につくのがこちらです。

こちらは三本杉
樹齢500年以上と推定される杉で、案内板によると高さは39m
3本の幹は、1本の杉が3本に分かれたのか、3本の杉が1本に癒着したのかはわからないそうですが、いずれであっても、かなり神秘的な杉です。

この杉の前を通り過ぎていくと、楼門にたどり着きます。

向かって右側が阿形像、左側が吽形像です。
楼門」というのは2階部分がある門のことで、前回も少し書きましたが、通常は寺院に建てられるもので、たいていは、こちらの楼門のように門の左右に仁王像がいて、寺院を守護しています。
神社にこうした楼門が建てられている場合、その神社では神仏習合思想の影響で、神宮寺が存在していた可能性が高いです。

 

〇 楼門と神仏習合

神仏習合というのは、神道と仏教がまじりあって生まれた宗教の思想というか、現象です。
日本人は外国の技術や文物を輸入し、それをアレンジして独自のものを生み出すのがうまい、などということをビジネス上、聞いたことがある方もいると思いますが、ある意味、その元祖ともいえるのがこの神仏習合です。

6世紀に日本に伝来した仏教は、奈良時代以降、国を守護してくれる尊い教えという考え方から天皇家の庇護を受けて、天皇家や貴族、地方の豪族などの間に広がっていきました。
その結果、それまでは日本古来の神々への信仰の庇護者であったそうした支配層は、神々への信仰と仏教信仰の両方を保持するようになり、8、9世紀以降、神社の中にお寺を建てるようになりました。こうして建てられたお寺を「神宮寺」といいます。

その後、奈良時代半ばから平安時代にかけて、日本では政争や飢きんなどが続く傍ら、僧侶による社会事業の実施や、浄土思想などの新しくまた平易な仏教を広めていったことから、一般の人にも仏教は浸透していき、日本では神仏習合思想が支配者から一般の人の間まで普通のものとして受容されていきました。

ところが、江戸時代に入ると、国学、そして尊王思想というものが生まれてきます。
江戸時代は古代日本に関する研究が進み、仏教が入ってくる以前の、天照大神の子孫である天皇を中心とした政治体制と、天照大神をはじめとする八百万の神々を祭る宗教体系こそが、本来の日本の姿であり、その時代の政治・宗教体制に戻すべきだ、と考える人たちが出てきたのです。
まあ、知らないことを知ると、その知ったことを使ってみたり、その知ったことは素晴らしいんだと主張したくなるのは人間の性なのでしょうね。このブログなんかも、その現れでしょう^^;

そうした思想の出発点の一つとなったのが、かつて、御岩神社のある茨城県を支配していた水戸徳川家の第二代当主、徳川光圀。テレビドラマなどで「水戸黄門」として有名なあの方です。
彼が編纂を命じた「大日本史」は、神話の時代からの日本の歴史を調べて歴史書を造ろうとする壮大なプロジェクトで、その調査・研究の結果、古代日本の姿が分かってきて、それが尊王思想へとつながっていくのです。

その尊王思想は江戸時代末期、ペリーの来航をきっかけに、外国人を日本から追い出そうとする攘夷思想と結びついて「尊王攘夷」思想・運動となって、徳川幕府を滅ぼすことになりました。
身内が生み出した思想で滅ぼされるとは、なんとも皮肉な話です。

ちなみに、水戸黄門、テレビドラマでは人の好い正義のおじいさんですが、実際のその人は、かなり変わり者だったようで、「大日本史」の編纂開始もそうですが、その他にも、日本で初めてラーメンを食べた人と言われるなど、好奇心旺盛な人だったみたいですし、また、肉食が忌避され、時の将軍、徳川綱吉生類憐みの令を出して動物の殺生を禁じていたにもかかわらず肉食をしたりするなど、反抗心のある人だったみたいです。
大日本史の編集開始、そしてそれが幕府の滅亡につながったのも、なるほどと思えなくもありません。

話がそれましたが、神仏習合、江戸時代までは当たり前の考え方だったのですが、昔の日本が一番、という尊王思想の持ち主たちが江戸幕府を倒して、王政復古の大号令という、日本人なら一度は聞いたことのあることを行って、日本を昔の状態に戻すということが宣言されます。これが明治維新ですね。
この時、新政府の人たちは、日本を古代の状態に戻すために、日本は神道に基づいた政治を行うという方針を示して、混じりあっていた神道と仏教を分けるよう命令を出します。これが神仏分離令神仏判然令という言い方もあるみたいですね)です。

政府の指令は、神道と仏教の分離だけだったのですが、寺院は江戸時代間接的に江戸幕府の民衆支配に使われていたため、その反感があったのか、寺院や仏教の宝物の破壊活動へと発展していしまいます。これが廃仏毀釈と呼ばれるものです。
るろうに剣心」で、相良左之助二重の極みを伝授した安慈和尚が破戒僧になるきっかけになった事件ですね(。。。て、もう古いか^^;)

そうしたなかで、破壊された神宮寺や楼門なども数多くあったようですが、こちらの御岩神社では、今でも楼門が残り、また、境内にはあちこちにお地蔵さんが立っていたり、阿弥陀如来像が安置されています。
おそらくは、御岩神社周辺では、民衆の恨みを買うような悪政が行われなかったため、廃仏毀釈が起こらず、今こうして神仏習合時代の名残である立派な楼門を見られるのかもしれません。

神仏習合、やたらと長く書いてしまいましたが、実は管理人、学生時代にこの神仏習合についての講義を受けておりまして。
義江彰夫先生の授業なのですが、大学時代に聞いた講義の中で5本の指に入る面白い講義で、そのため、学生時代に戻って、少し詳しく書いてしまった次第です。
もし、上記の話を読んで関心を持たれたら、Wikipediaや、さらに進んで、義江彰夫先生の「神仏習合」という本を読んでみてください。そこでは、怨霊信仰(学問の神様、菅原道真にも関係する信仰ですね)なども絡めて、もっと深く、神仏習合について語られています。

 

〇 楼門から斎神社回向殿へ

楼門をくぐって案内板に従って歩いていくと、こうしたものに出会えます。

こちらは洗心の石。この手のひらに掌を載せると心が洗われるそうです。
この洗心の石で心を洗い清めて、少し進んだところにある石段を上がりきり、左の方を見てみると、珍しいものがあります。

こちらは後生車(菩提車)。写真の中の案内板にあるように、石柱の窓の中には木でできた車があり、これを上へまわすと現世での願い、下へまわすと後生の願いが叶うのだそうです。
現世、今生ではそろそろ苦しみから解放されたい。後生、来世では、もっと苦労のない幸せな人生を生きてみたい。。。なんて願いながら回してみたりしました^^;

この後生車からさらに先に進むと、斎神社回向殿があります。

こちらには、「神社」というように、神様が祀られているのですが、同時に、県指定文化財の大日如来像と市指定文化財の阿弥陀如来像も祀られているそうです。
そういわれると、建物自体、お寺っぽい気がしますよね。あくまで管理人の勝手な推測ですが、ここには以前お寺があった、つまり神宮寺があったのではないかなと。
この建物の天井には寺院のように、龍の絵も描かれていますしね(管理人は中の写真は撮っていませんが、ネット上に建物内の写真を載せているブログ記事がありましたので、興味がある方は見てみてください)。
神様と仏様が同居している、神仏習合時代の日本の光景がここにあるのでしょうね。

 

〇 拝殿へ

御岩神社には、建物だけでなく、色々な面白いものがあるのですが、斎神社回向殿からさらに奥に進んでいくと、また面白いものが目に入ってきます。それがこちら。

形代です。
写真の中の案内板に書かれているように、罪や穢れを人型をした紙に移して、自身を清めるための人形です(写真の中の机の上にある白いものがそれです)。
使い方は、体や心の不安なところを形代でさすって、フーっと息を吹きかけ水に流すというものです。

でも、陰陽師の映像作品を見ている人にとっては、自分の身を清めるためのものとか、身体をさすって息を吹きかけて水に流す、というよりは、人差し指と中指で挟んで呪文を唱え、フーっと息を吹きかけて敵に向かってピッと投げつける、という方を連想してしまいますよね^^
管理人もそういう人ですが、ここには形代を投げつける敵はいませんので、息を吹きかけた後は、こちらの流れに流しておきました。

これで悪運・悪縁が払われたかな^^

さて、この写真の撮影方向と反対側には手水舎がありまして、その手水舎の先にある石段を上ると、御岩神社の拝殿に到着します。

今回はここまでにして、次回、厄払いの祈祷のときのお話を書いていきたいと思います。

 

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