御岩神社で厄払いの祈祷 ― 御岩山、神々の坐す山④

 

こんばんは。
このブログをご覧くださいまして、誠にありがとうございます。

さて、今回は、前回の続きで、御岩神社厄払いの祈祷をしていただいたときのお話です。

 

Contents

〇 参集殿

拝殿に着いた管理人、普段通りにお参りを済ませます。
そして、社務所で案内された、拝殿の隣にある参集殿へ。

以前来た時、ここは工事中だったのですが、この建物を建てていたとは。。。
そして、その建物に入ることになろうとは。。。
。。。という感慨を抱きながら中に入ってみます。

「こんにちは~」と言いいながら戸を開けると、正面に受付の窓口があるのですが、中の電気は点いていなくて、誰もいません。
ふと視線を横にずらすと、待合室の案内が出ていて、参集殿でお待ちくださいと言われていたし、玄関でぼーっと立っているのもなんなので、靴を脱いで下駄箱に入れてから、案内に従って奥に進みます。
待合室に入ってみると、、、誰もいませんでした。

まあ、いっか、と待合室をうろついていたのですが、しばらくしてノックの音が。
すーっと待合室入口の戸が開いて、巫女さんが入っていらっしゃいました。
社務所にいた(おそらくアルバイトの)巫女さんたちとは、なんとなく雰囲気が違って、本物の巫女さんだと、管理人でも直感的にわかりました。

「ようこそいらっしゃいました、お出迎えもせずに申し訳ありません」とあいさつされて、はたと管理人、よくよく考えたら、勝手に上がっちゃいけなかったよなと気づきまして、非礼を謝罪( _ _)
笑って許していただき、12時までもう少しお待ちくださいと言われました。
その後、巫女さんは玄関に戻って、他の祈祷希望者の方のお出迎えをされていました。
神職の方がこんなに丁重に迎えてくださるとは夢にも思っていなかったので、管理人、感激してしまいました。

 

〇 拝殿

その後、3組の方が待合室にやってきまして、時間も12時になったところで、祈祷を始めますので拝殿の方へと促されて拝殿に向かいます。

参集殿から渡り廊下を渡って、この写真の入り口から拝殿の中に入ります。
管理人、色々と神社を巡っていますが、実は、神社の拝殿に入るのはこれが2度目です(初めて入ったのは、2008年に特別に公開された出雲大社の本殿でした)。

中に入ると腰掛が用意されています。
管理人は最前列の腰掛に腰を下ろしました。
当たり前ですが、祈祷中は写真撮影できませんので、以下、言葉と、最近使い始めたイラストレーターで作った簡単な図を使って、祈祷の様子をお話していきますね。

まず、拝殿の中ですが、拝殿の中は前回の記事でご紹介した回向殿のように、拝殿中央奥に祭壇(というのかはわかりませんが)があって、そこに神鏡がお供えされています。
もちろん、祭壇は回向殿のものよりも大きく、装飾性も高いです。
祈祷希望者と祭壇の間には、机が二つと、雛飾りのお内裏様とお雛様が座っているような畳4枚が置かれています。
図にするとこんな感じでした。

 

〇 祈祷

拝殿に通されてしばらく待つと、宮司さんと巫女さんがいらっしゃいました。
いよいよ、祈祷が始まります。

まず最初に宮司さんがあいさつをされ、続いて祈祷をしていただく人の名前を確認します。
そして、宮司さんが神様に礼拝をした後、太鼓を叩いて儀式の開始を合図します。
祈祷していただく人の中には赤ちゃんがいたんですが、太鼓の音を聞いても全く泣きませんでした。
きっと強い子に育ちますね^^

太鼓を叩き終えると宮司さんは、御幣(ごへい)という、よく神主さんが手に持って、しゃんしゃんと振るギザギザの紙のついた棒を私たちに向かって振ります。
それが終わると、鈴がたくさんついた棒を振ってお祓いをしてくれます。
それらが終わると、宮司さんは神鏡の前に座って、祝詞を読み上げてくれます。
祝詞というのは、言ってみれば、神様が使う言語で、宮司さんは一人ひとりの願いを祝詞に翻訳して神様にお伝えする、というわけですね。
そして、その言語は聞いているとどうやら、高校で習った古文だったりするようです。

祝詞を聞いても全く何を言っているかわからない人もいるようですが、管理人は、昔からわりと古文・漢文が好きでして。
大学受験の時もこの二つは成績良かったですし、今でも岩波文庫で古文・漢文を読んだりするので、ある程度、祝詞の内容が分かったりします。
管理人の願いは除災招福だったわけですが、確かに、災いを取り除いて福を招く、というような言葉を神様に伝えてくださっていました。

ああ、これで厄が払われて幸せがやってくる、、、と思いつつ祝詞を聞いていると、「。。。運を開き、良き縁を招き。。。」といったような言葉が聞こえてきました!
前々回の記事で、祈祷の予約をするときに思わず、これまで良い縁にも恵まれず独り身でとか、不遇の身の上について喋ってしまったと書きましたが、おそらく、電話応対してくださった方が、ポロっと出た管理人の魂の願い、穢れを拾って、宮司さんに伝えてくれて、それが清められて願いが叶いますようにと神様に申し上げてくれたのです!!
驚くのと同時に、何よりも、見ず知らずの人だけれど、心の弱っている人の気持ちを察してすくいとってくださる、その優しさが嬉しく、暗く沈んだ心に暖かい光がさしてきて、雲が消えていくような感じがしました。

祝詞の奏上が終わると、一人ずつ呼ばれて、上の図にある机の前の畳に座って、巫女さんからを受け取って、それを机の上に置いて神様に捧げ、二拝二拍手一拝して自分の願いを神様に申し上げます。
管理人の場合は、「厄が去って、運が開かれて、ビジネスがうまくいって、素敵な出会いに恵まれますように」です。
ちょっとお願い多すぎたかしら^^;

参集した方全員が榊をささげ終わると、太鼓が叩かれ、宮司さんがあいさつをされて、祈祷は終了となりました。

新井大師の時は、お経を唱えていて、さすがに管理人もお経は聞いても何を言っているのかはわからなかったこともあって、儀式が進んでいくなあと、ある意味観客的というか、客観的に祈祷を見ているという感じでした。
しかし、こちら、御岩神社での祈祷は、祈祷してもらう方にもやるべきことがあるため、儀式の当事者なんだなというのが強く感じられました。
そして何よりも、神社の方々の心遣いがとてもうれしく、それだけで厄が払われたような気がしました。

人の心を傷つけ弱らせるのは何よりも人の心ですが、傷つき弱った心を癒し強くするのも人の心なのかなと。
そして、宗教に携わる人というのはそうした弱った人の心を察して、その回復を助けてくれる方々なのだと思い、つくづくとありがたいことだと感謝の気持ちがこみ上げてきました。

儀式の最後に宮司さんが、「いつも神様への感謝の気持ちを忘れずに。。。」と仰っていました。
物事がうまくいっているとき、特に困っていることがないときは、私たちは神様とか、自分を温かく見守ってくれたり支えてくれたりする人のことを忘れてしまいます。
そして、困っているときにだけ、そうした存在に頼ろうとするけれど、きっと、好調な時に大切な存在のことを忘れて傲慢になるから、それが巡り巡って自分を困った状況に追い込むものなのかなと。

好事にも困っているときにも、大切な存在、自分を励まし支えてくれた人たちへの感謝の気持ちを持ち続けられたならば、幸せな素敵な人生になるんだろうなと。
それに気づけない状態にあることが「厄」の状態で、それに気づかせてくれる儀式が祈祷なのかなと。
そう思った時、心の曇りが晴れて目の前がパッと開けたような、そんな感じがした管理人なのでした。

 

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