大阪から京都へ。江戸幕府の誕生と終焉を見つめた城、二条城

 

こんばんは。
このブログをご覧くださいまして、ありがとうございます。

さて、今回は京都、二条城を訪れた時のお話です。

 

〇 大阪から京都へ

前回は大阪の夜の街で、後輩と夜中まで飲んでいたお話でしたが、今回はその翌日のお話です。
後輩は会社に遅刻しましたが、管理人はこの日も夏休み、ホテルで7時半くらいまでゆっくりと寝ておりました^^;
で、後輩が遅刻したなんてことはつゆ知らず、ゆるゆるとホテルの朝ごはんを食べます。。。が、さすがに前日飲み食べすぎしたようで、あまり食欲はありません。

妙に喉が渇いていたので、食べるものは少なく、コカ・コーラZEROをやたらと飲んで、ごちそうさまをしました。
で、身支度を整えてチェックアウトし、ホテル周辺のお店の取材をサラッとしてから、次の目的地、京都へ向かいました。

 

我ながら、このブログを見ていると、旅ブログサイトのようになっていますが、このサイトは本来、どのお店でどんな日本酒が飲めるかを検索できるサイト。

その検索用のデータを現在は、管理人があちこち歩きまわって登録しています。
が、東京在住の一般サラリーマンゆえ、そんなに頻繁に東京以外に行くことができず、データがどうしても東京の、しかも、管理人の通勤経路上にある駅周辺のものがメインになってしまっています。

前々から、やはり、大阪、京都、神戸、名古屋、広島、福岡、仙台、札幌の情報は載せたいなと思っていまして。
今回の旅では大阪、京都、名古屋のデータを収集しようと考えていて、大阪の後は京都に向かった次第です。

 

管理人、京都にはこれまで、修学旅行含めて(確か)3回行ったことがあります。
清水寺、金閣寺、太秦、東寺など、京都の中心から見ると比較的外縁部にある名所には行っているのですが、そういえば、中心部の方には行ったことがありません。
そこで、今回は二条城を見学して、管理人が以前勤めていた会社の京都支社がある烏丸通でお店取材しようという、大雑把な計画の下、まずは二条城に向かいました。

 

〇 二条城

名神高速道路から、京都縦貫道に乗り換えて京都へ向かいます。
国道9号線を使って京都市内に入り、堀川五条の近くにあったコインパーキングに車を停め、そこから歩いて二条城を目指します。

地図で見てるとそんなに遠く見えないので歩いていくことにしたのですが、地図も縮尺により見え方は変わるもの。
そんな当たり前のことを忘れていたため、考えていた以上に時間がかかりました^^;
また、この日の宿泊地は、三重県鳥羽市、15時くらいには現地に着きたいなと思っていたので、あまり時間をかけるわけにもいかず、途中でバスに乗って二条城へ向かいます。

そうしてようやくたどり着いた二条城

こちらは大手門です。
立派な構えの門ですが、竹田城のように、攻め手の左右や後ろから攻撃するような工夫や仕掛けは見られない、そういう意味ではごく普通の門になっています。
この門をくぐると、

こんな感じになっていまして、見ての通り、何の仕掛けもありません。
このまっすぐな区画を西の方にまっすぐ歩いていくと、

この角を曲がると、

二の丸御殿に入るための唐門があります。
こちらも、見た目は日光東照宮の陽明門のように、金箔や彫刻が施されていてとても美しいですが、防御に向いているようには見えません。

 

こちらは二条城の案内板を撮影したもので城の縄張りがわかるものですが、こちらを見てみると、

長方形と正方形の内堀と外堀に囲まれただけのシンプルな造りで、そんなに防御力が高そうな城には見えません。

同じことは当然、二条城を造った徳川家康の家臣たちも思ったそうです。
Wikipediaの「二条城」の記事を見ると、そうした疑問に家康は、援軍が来るまでの1、2日持ちこたえられるだけの防御力があれば十分だし、あまり防御力が高いと、万一この城が敵の手に落ちた時に取り返すのが大変だから、と答えたそうです。
城がある場所自体も、戦闘向きの場所ではないため、将軍が京都に来た時の宿所としての役割を果たすために最低限の造りにしたのでしょうね。

 

〇 二条城の二の丸

さて、先ほどの唐門をくぐると、

二の丸御殿が見えます。

こちらは、歴史の教科書や資料集でお馴染み、徳川慶喜が大政奉還を表明したあの御殿です。
この中には、やはり教科書や資料集に乗っている大政奉還の絵の場面が再現された広間があります。
そこには大政奉還発表の様子を再現した人形が置かれていたりします。

また、権力者の宿所にふさわしい、見事な障壁画の数々を見ることができます。
しかし、残念ながら、御殿内は撮影が禁止されているので、それらをこちらに載せることができません。
二条城の公式Webサイトに小壁画や広間の写真が載っているので、興味がある方はこちらを訪れてみてください。

 

二の丸御殿を一通り見学した後は、順路に従って本丸に向かいます。

二の丸御殿脇にある、こんな美しい庭園を左に見ながら進むと、

こちらは「本丸櫓門」。
二の丸御殿や大手門とは違った感じの実戦本意の門です。

 

〇 二条城の本丸

橋を渡って門をくぐると、

本丸御殿があります。
御殿というよりも、昭和の民家という趣の建物ですね。

元々、二条城の本丸御殿は二の丸御殿に劣らない立派なものだったそうですが、1750年に落雷で焼失してしまったそうです。
1788年には京都で発生した火事で延焼して、周辺の建物も焼失し、再建されることなくそのまま放置されていたそうです。

今ある御殿は、1893年から1894年にかけて、京都御苑内にあった桂宮邸を移築した建物なのだそうです。
100年以上後に、同じような感じの建物が民家としてたくさん建てられた、というのは、それだけ日本という国が豊かになったということなんでしょうか。

 

さて、さらに奥に進むと天守台があります。

かつてはここに、5層5重の天守閣がそびえたっていたそうですが、1750年の落雷で焼失してしまったそうです。
ここにあった天守閣には、1626年に後水尾天皇が上られたそうで、天皇が登った天守閣はこの二条城のものが唯一なのだそうです。

 

天守閣から降りた後は、順路に従って、二条城本丸西側にある門を通って、北回りで大手門へ戻りました。
その途中、

不思議なものが。
拡大すると、

ガンダムF91のラフレシアみたいですが、そばには案内板がありまして、

日中韓で共通する漢字808文字が書かれた花だそうです。
日中韓の友好、ということなんでしょうけど、、、なんか、管理人には呪詛みたいに見えて怖い印象を受けました^^;
今年は1867年の大政奉還から150年の節目の年、その一環としての企画なのかもしれないですね。

 

〇 結びに

竹田城とは打って変わって、二条城は城というよりは最高権力者の宿泊所、という趣で、立派な建物や門、美しい庭園などが目を引く観光名所でした。

今では観光客も多くいて、そんなに感動するような、特徴的な観光スポットではないように、このブログの記事上はなってしまっていますが、この城は、徳川幕府の終了だけではなくて、徳川幕府の始まりにも関係していた城で、1603年2月12日に征夷大将軍宣下を伏見城で受けた徳川家康は、その1か月後にこの城に入り、この城から、将軍就任のお礼を述べるために天皇のもとに向かい、その後に、就任の宴をこの城で開いたそうです。
いわば、江戸幕府の始まりと終わりの舞台となった、江戸幕府・江戸時代の象徴のお城でした。

江戸時代の始まりと終わりでは、大きな戦乱が発生して、多くの悲劇が生まれました。

現在の二条城の様子からは、そんなことはうかがい知ることもできませんが、この先も、うかがい知ることができないように、平和なときが続いてほしいなと、なにやら、戦争の気配がする昨今、歴史を知る人間としてふとそんなことを思ってしまうのでした。

 

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