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信仰の山の金剛證寺奥の院、富士見台竹屋の大関ワンカップ
- 2017/12/17
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こんばんは☆
このブログをご覧くださいまして、ありがとうございます。
さて、今回は前回に続き、伊勢志摩スカイラインでのお話です。
Contents
〇 卒塔婆の小路
伊勢神宮に向かう途中でたまたま立ち寄った朝熊山の展望台から、日本百景に選ばれている素晴らしい景観を楽しんだ管理人。
晴れ晴れとした気分になって、改めて、伊勢神宮に向かおうと、駐車場に戻ったのですが、ふと、前方を見ると、
このような門がありました。
門をくぐってみると、
道の両側に卒塔婆がずらっと並んでいます。
まさか、黄泉比良坂(この世と死後の世界とをつなぐといわれる坂)?とも思いながら、歩いていると、
立札には九鬼嘉隆の五輪塔とあります。
ここは金剛證寺奥の院へ続く道で、亡くなった人が極楽浄土に赴けるように、ここに卒塔婆を建てて供養するのだそうです。
先の九鬼嘉隆は、織田信長の水軍大将として鉄甲船を率いて当時日本最強とされていた毛利水軍を打ち破り、豊臣秀吉の時代には、文禄の役で、日本の水軍大将として、李氏朝鮮の水軍と戦った、志摩国(三重県の一部)の戦国大名です。
関ケ原の戦いでは、九鬼家を存続させるため、真田家のように、自身は西軍石田三成方に、長男の守隆は徳川家康の東軍に属して戦い、戦後、やはり、九鬼家を存続させるため、自害して果てました。
こちらの五輪塔は、九鬼嘉隆の息子の一人が、父の菩提を弔うため、この朝熊山で出家し、ここに建てた供養塔なのだそうです。
〇 金剛證寺奥の院
さて、この卒塔婆が林立する道をひたすら進むと、
奥の院にたどり着きます。
入ってすぐのところには、
卒塔婆と、ここまで通ってきた卒塔婆の道の背景を解説した案内板が立っていました。
この卒塔婆の道は、古代から連綿と引き継がれてきた、亡くなった人は霊となってこの山の中に集まるという信仰に基づき、その追善供養をするためだったんですね。
先ほどの、九鬼嘉隆の五輪塔も、そうした信仰から建てられたものだったのです。
管理人の父親は前年に他界しておりまして、たまたま立ち寄ったところで、こうした信仰の地に巡り合ったことに、何か不思議な縁と、しみじみとした何とも言えない感情を感じました。
〇 富士見台竹屋の日本酒
さて、この卒塔婆の先は、
本堂と住居(と言ったらよいのでしょうか)があります。
中央奥の建物が本堂になりますが、こちらのご本尊は「延命子安地蔵尊」、お地蔵さんです。
こちらの本堂でお参りをして、ふと右側を見ると、
休憩所があります。
早く伊勢神宮にたどり着かなければ、と思っていたので、スルーしようとも思ったのですが、よく忘れるのですが、この旅は「日本酒の飲めるお店取材の旅」。
飲食店があったら、そのお店に日本酒が置いてあるかを調べるのがその目的ですから、なんとなくお店とかに入るのをためらってしまう病んだ心を勇気づけて、というか、仕事と割り切って(仕事となると心進まなくてもたいていのことができるようになるのです。病んでますよね、心^^;)入ってみます。
外観の印象よりはずっと古びていない店内。山上の神社・仏閣にある休息所、という感じです。
日本酒なんてあるわけないよな、と思いつつ壁に貼られているメニューを眺めていると、写真の左上隅や写真中央辺りなどあちこちに、「酒ワンカップ」とあります。
あるんだ!とびっくり・嬉しくなって、何の銘柄か知りたいなと、さらに観察を続けます。
管理人、そんなにお金に恵まれていないので、観察して無料で情報を手に入れられるならそれに越したことはありませんから^^;
が、その手掛かりはなく、それであれば買って調べるまで。せいぜい、300円ですしね。
ということで、お店の奥の方を見ると、テレビで暴れん坊な将軍様の活躍をご覧になっているおばあさんがいらっしゃったので、「すいませ~ん」と声をかけてみます。
が、管理人、子供の時から声が通らない人で、野球で、声出せ言われて大声を出しても、聞こえない!と毎回言われたり(まあ、本当に聞こえないわけじゃないんでしょうけど)、ファミレスや居酒屋とかですいませ~んと言っても、なかなか気づいてもらえなかったりします。
やむなく何回か声をかけて、なんとか、存在に気付いてもらえました。
で、お酒あります?と尋ねると、あるとのこと。
で、その銘柄とは。。。
大関Oneカップ(上撰)でした。
いや~、これで、ブログ書く時、サイトと関係のある記事になる(  ̄▽ ̄)
と思っていたら、おばあさんがどちらからいらっしゃったの?と尋ねてくださったので、少し話をすることに。
おばあさんは今年で88歳だそうで、旦那さんが亡くなって、今では一人でお店を切り盛りしているみたいです。
そして、あれこれとお話をしていたら、
お茶とお菓子をいただいてしまいました。
300円しか使っていないのに、申し訳ないので、何か追加で注文しようかと壁に貼ってある紙を見ると「名物おでん」の文字が。
これだ!!と思ったものの、よく見ると、「は10月末まで休ませていただきます。」とのこと。。残念TT
窓際の席に座って、外を眺めながら、ありがたく、お茶とお菓子をいただきました。
おばあさん、ありがとうございました(^^)
〇 一休さんと富士見亭
ちなみに、お店の横には案内板がありまして、
「海を呑む 茶の子の餅か 不二の雪 ― 一休禅師 ―」とあります。
「一休禅師」とは、もちろん、あの頓智で有名な「一休さん」と思われますが、一休さんもここを訪れていたんですね。
。。。あれ、でも一休さんの時代(室町時代前期)に俳句(5・7・5の形式)なんてあったっけ?
一休さんの造った文章で有名なのというと、
「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」
「世の中は起きて箱して(トイレに行って)寝て食って後は死ぬを待つばかりなり」
のように、世の中の真理を皮肉を込めて的確に表した「和歌(5・7・5・7・7の形式)」が思いだされますが、、、まあ、当時は「連歌」もあったし、なにより、無粋ですよね^^;
それはさておき、この俳句や案内板にあるように、こちらのお店からは、よく晴れた日には富士山が見えるそうです。
こちらのお店は「富士見亭 竹屋」と言うのですが、お店の名前の由来にもなっているようですね。
これは、このブログを書くにあたってネットで調べていて知ったことですが、こちらのお店では先の案内板にも書かれている「茶の子餅」が名物だそうで、この餅、「開山忌」という金剛證寺の開山記念日の3日間だけ販売されるそうです(こちらの記事も参考になるでしょう)。
〇 金剛證寺
お茶とお菓子をいただいて、体力も回復し、去り際、きっとまた来ますと約束して、管理人は、竹屋さんを後にしました。
このまま伊勢に向かおうとも思ったのですが、せっかくなので(^^;)、その近くにある金剛證寺の方にもお参りしました。
こちらが金剛證寺です。
こちらは金剛證寺の入り口、仁王門の下にある案内板です。
Wikipediaにはさらに詳しいことが書かれていて、それによると、創建は6世紀半ば、欽明天皇の命により建てられ、その後825年に空海が中興、1392年に東岳文昱が再興したそうです。
奥の院に向かう途中で九鬼嘉隆の五輪塔がありましたが、九鬼嘉隆のものとして引用される肖像画は、こちらのお寺の所蔵品になります。
金剛證寺は、前回の記事にも書きましたが、伊勢神宮の鬼門(北東)に位置することから、鬼門封じのお寺として伊勢神宮への信仰と合わさって、「伊勢へ参らば朝熊を駆けよ、朝熊駆けねば片参り」と謳われ、多くの参拝客が訪れたお寺で、江戸時代には徳川氏の援助を受けたのだそうです。
それ故、かなり大きな寺院でして、色々と興味深いものがあります。
まずは、先の写真の前には、
「うし」と「とら」がいます。
この時は?としか思いませんでしたが、今、この記事を書いているときにはピンときました。
「うし」「とら」 → 「丑寅」 → 艮 → 北東
で、伊勢神宮の北東方向を守るお寺、ということでしょう(。。。もっとも、グーグルマップなんかで見ると、ほぼ真東なんですけどね^^;)
で、この「うし」は「福丑」、「とら」は「知恵寅」というそうで、撫でるとそれぞれ幸運と知恵を授けてくれるそうです。
ちなみに、牛の頭の上にいるのは「大黒天」だそうです。
管理人も、ムツゴロウさんくらい、、、には遠く及びませんが、なでなでしてきました。
〇 金剛證寺の建物群
続きまして、こちら、「連間(つれま)の池」と「連珠(れんじゅ)橋」。
この池の向こうが彼岸(悟りの世界)、手前が此岸(現世、煩悩の世界)とされていて、彼岸に見える建物には、天照大神16歳の時のお姿を弘法大師が感得して(想像して、というところでしょうか)、刻まれたという「雨宝童子尊」の神像が祀られているそうです。
毎日悩み・苦しみばかりの此岸を離れて、彼岸に行きたい、と思ってこの橋を渡りたいところですが、
危険なため渡れません。
この橋を渡ると本当に彼岸に旅立ててしまうので、渡橋禁止なのかもしれませんね^^
そんな冗談はさておき、橋を渡ることはできませんが、彼岸には行くことができまして、その彼岸には、
「雨宝堂」があって、お参りすることができます。
葵の御紋がばーんとあり、確かに、徳川家の庇護を受けていたようですね。
その視点で見ると、先ほどの本堂の建物や、こちらの
仁王門などを見ると、きらきら感はないものの、江戸時代初期、権現造と言われる建物群に似ている気がしなくもありません。
ちなみに、こちらのお寺には、こんなお地蔵さんもいらっしゃいまして、
名前から想像されるように、子宝を授けてくださるそうです^^;
独り者の管理人もお祈りしてみました。
独り者が子宝に恵まれるということは、誰かいい人に巡り合えるのかな、なんて思いつつ。
〇 結びに
さらに歩くと、
などもあります。
その横には案内板がありまして、
平安時代から「埋経(経典を土の中に埋めて塚を建てることによって、死者の供養を行うこと)」が行われていた経塚に行くことができます。
行ってみたいなとも思いましたが、さすがに、もうすぐ13時で、しかも、山登り、行って戻ってきたら、おそらく、14時頃になってしまうでしょう、ということでこちらは断念して、極楽門の前にある駐車場に戻って、この朝熊山を後にしました。
事前に調べもせず、たまたま立ち寄った朝熊山と金剛證寺。
日本百景に数えられる素晴らしい眺望と、古代から連綿と続く信仰に根差した信仰の山、茶店のおばあさん、と管理人の身内のこと、色々な偶然が重なって、とても貴重な体験ができました。
朝熊山というこの霊山に、管理人の父親も含めて、本当にその魂魄が集まっているのかもしれない、ふとそんな感慨を覚えた朝熊山での出来事でした。
☆ 今回のお酒を買うならこちら
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