浅草・春のうららの隅田川、満開の『夜』桜×「ふなぐち菊水 一番しぼり」☆

 

こんばんは。
このブログをご覧くださいまして、誠にありがとうございます。

さて、今回は、隅田川の花見のお話です。

 

asakusa_sumidagawa_yozakura

 

○ 春のうららの隅田川の『夜の』右岸

春ですね。
先週一週間、4月とは思えない寒い日が続きましたが、週末は4月らしい、暖かい日になりました。
浅草・隅田川の桜は比較的早くに咲いて、3月の第5週には八分咲くらいになっていました。
花冷えで桜、散るの早まらないかなと心配でしたが、寒さのおかげか、今年の桜は比較的早めに咲いたけれど、この4月第1週の週末まで満開に近い状態が続いていました。

あれ、ここまでって、前回の記事と同じじゃない、と思った方。
このブログをよく読んでくださってありがとうございます。
そう、ここまでは意図的に前回と同じ文章にしてあります。

どんな意図かというと、それは『対照』。
前回の記事は、『昼』の春のうららの隅田川の記事で、管理人の書く記事としてはネガティブ抑え目、なるべく明るい記事に仕上げたのに対し、今回の記事は『』の春のうららの隅田川の記事で、ネガティブを抑えることなく暗い記事に仕上げようという意図です。

そもそも、前回と今回の隅田川の桜の記事、時系列的には、今回の夜の話の方が昼の話よりも先になっています。
気まぐれに夜桜で花見をした時に、一人で飲んでいたので、飲みながらあれこれ考えているうちに、隅田川の桜を記事にしてみようと思い立ち、その後、隅田川や隅田川の桜の歴史を思い出した時に、なぜか、その歴史を書かないといけないという気になり、歴史を書くのであれば、昼の様子と対比させた方がより印象的に仕上がる、と思いまして。
それで、日曜日に時間を作って前回の記事に書いたように、昼(夕方だけど、まあ、明るいので昼ということで^^;)の隅田川の様子を取材に行きまして、まとめたのが前回の記事です。

ある意味、前回の記事は今回の記事の前振りです。
なにも日本酒サイトのブログ記事でそんなことする必要ないのにと自分でも思うのですが、なにか無意識のものが、今回の記事を書かせるのです。
そんな記事ですけど、お読みいただけると幸いです。

 

さて、話が脱線しましたが、それは4月の第1金曜日の夜のこと。
21時までクライアント先でお仕事をして、浅草まで戻って誰もいない自分のお家へ向かう管理人。
いつものごとく、隅田川の堤防の上を歩いて帰ります。

この日は久しぶりに暖かい夜。
もう22時過ぎなのに、花見の宴会客が結構多く残っています。
何人かで集まって楽しそうに飲んでいる人たちがいるのとは対照的な自分だなと思いつつ、桜を眺めながらややゆっくりと歩いていた管理人。

言問橋を過ぎると、人もほとんどいなくなるのですが、桜はむしろ、こちらの方が数も多くて見事な状態。
特にこの、

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ちょっと小高い丘になっているところの桜は見事です。

この丘の桜を見た時に、ふと、この時間、ここなら、一人で花見をしても大丈夫だなと思いまして。
せっかくの春、桜なんだから、花見で一杯飲んで風流しよう!と思い立ち、急ぎ家に帰って、着替えて近くのセブンに寄ってお酒とつまみを買って言問橋の北のたもとへ向かいました。

 

○ 浅草の『夜』桜で「ふなぐち菊水 一番しぼり」

先程の丘、丘の麓には宴会組が2、3組。
丘の上には、シングルで花見をしている人たちが4、5人。

運のよいことに、丘の上のベンチが一つ空いていたので、管理人はそこに座って、花より団子ということで、お酒とおつまみを展開。
セブンで買ったのは、

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ふなぐち菊水 一番しぼり」と、

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おつまみの「ジャッキーカルパス」と「じゃがりこ」です。

この席の辺りからは、

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桜とスカイツリー、そして、

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菜の花も楽しむことができる、とても風流な場所です。
まあ、こういうのって、一人とか二人でないと楽しめないものでしょうけどね。

そんな丘の上、まずは桜に乾杯して、「ふなぐち菊水 一番しぼり」をいただきます。
管理人、このお酒好きで、昔は日曜日に飲むときは、ほぼ必ずこのお酒を飲んでいました。
今は、お酒弱くなって翌朝辛いから、翌日仕事がある日は日本酒は避けるようにしているので、最近はほとんど飲むことがないんですけどね。

このお酒は「生原酒」で、普通は冷やして飲むお酒ですが、セブンでは冷蔵棚ではなく、普通の棚に平積みされていたので常温です。
常温で飲むと、冷やした時に比べてアルコール感が強くなって、かなり飲みごたえが出ます。
辛口、でも旨みがある。そして後味はどっしりと残る感じ。
常温は常温で違う味わいがありました。

おつまみのジャッキーカルパスはコショウと肉の味が強い、ジャンキーなお味。
合わせてみると、菊水のアルコール感やどっしりとした味は消え去る代わりに、ジャッキーカルパスの後味も消してくれます。

もう一つのおつまみ、じゃがりこ。
管理人はチーズ味が好きです。
本当は、カロリー高めなので「L」じゃないほうがよかったんですけどね。
合わせてみると、味はそれほど濃厚ではないのに、ジャッキーカルパス同様、お互いの味がかき消されます。

このお酒は、食事と合わせるお酒というよりは、お酒そのものを楽しむタイプみたいですね。

 

○ 隅田川の桜の歴史

満開の桜の下、同じく満開の菜の花を目の前に、ジャッキーカルパスとじゃがりこを交互に食べつつ菊水を飲む。
風流だなと思いつつも、一人なのでとりとめもなくあれやらこれやら色んな事が頭に浮かびます。

菜の花って確か、司馬遼太郎が好きな花だったよな、とか、隅田川の桜って松平健、徳川吉宗が植えさせたのが始まりなんだよなとか。
あとは、桜って美しいけど、その美しさは「桜の木の下には死体が埋まっている」からだとかいう都市伝説みたいな話(これは、梶井基次郎の「櫻の樹の下には」という短編小説の中の有名な一節です)があったよな、とか。。。
そのフレーズを思い出した時に、管理人の中で、隅田川周辺の歴史、今のこの光景からは想像がつかないような悲しい歴史が思い出されました。

今回の記事を書こうと思ったのは、美しい桜の下で、ふいに隅田川周辺で起こった歴史を思い出して、その桜の美しさを背景にして歴史を書くことで、その対比が浮かび上がって読む人に歴史が語り掛ける何か大切なものを効果的に伝えられるんじゃないかな、と考えたからです。
そんなわけで、ここからは隅田川の歴史です。
お酒の話とかは出てこないですし、悲しい歴史の話になりますので、興味を持っていただけた方は読んでみてください。

 

隅田川の桜の始まり

さて、隅田川の桜ですが、ネットで色々と調べてみたところ、隅田川に桜が植えられた記述で最も古いものは、寛永年間(1624~44年)に植えられたとするものだそうです。
当時、桜と言えば上野で、上野にある寛永寺を開いた天海僧正が、景観向上のため、古代から桜の名所として有名な奈良・吉野山の桜の苗木を植えて育てたのだそうです。

この桜は、一般の人たちにも開放されていて花見ができたのですが、寛永寺は徳川家の菩提寺であったためか、飲食禁止・鳴り物禁止・花見は18時までと規制がされていたそうです。
ひょっとすると、規制があって評判が悪かったため、浅草に桜を移して、宴会をしたい人々に配慮したのかもしれませんね(将軍も一般の人々の支持を得ることに心を砕いていたのです)。

その次に古い記述としては、家光の長男、4代将軍徳川家綱(1641~80年、在職:1651~80年)が民衆とともに楽しむためにと桜を植えさせたという記録があるようです。
以前のブログでも書きましたが、家綱は、父家光の弟である保科正之に補佐されて善政を行った将軍。
当時、隅田川の東岸、白髭公園の辺りには将軍が郊外に鷹狩りなどに出かけた際の休息所(隅田川御殿)があったそうで、家綱の時代の植樹は、この隅田御殿の辺りに植えたものだと推察されます。

そして、8代将軍松平健徳川吉宗の時代の1717年と1726年に吉宗の命により、隅田川の堤に桜が植えられたそうです。
この内、1717年の植樹と同じころに、桜を植えた地にあった長命寺の前で、寺の門番をしていた山本新六という人が、塩漬けにした桜の葉でくるんだ餅を売り出したそうで、これが桜餅の起こりとなったそうです。
長明寺の前には今も、桜餅屋さん「山本や」があり、今も賑わっています。

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こちらはその「山本や」さんの桜餅。

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桜の香りがほのかにして、餅はもちもち、餡は上品な程よい甘さでおいしいです。
ちなみに、この桜餅は夜桜を見た日とは別の日、隅田川で早慶のレガッタが行われた日に買ったものなのですが、この日も隅田川の左岸には出店が出ていまして。
除いてみたところ、日本酒が売られていたので、買って、合わせてみました☆

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桜の季節、桜餅に桜正宗。桜尽くしです!
桜正宗は淡麗、水の如し、といった感じ。
スッキリしていてクセのない味です。

桜餅と合わせてみると、あんこの上品な甘さと桜正宗の淡麗さが溶け合って、蜜のような感じになります。
こちらのお酒、すごく淡麗なので、甘いものと相性が良いお酒なのかな、と思いました。

 

さらに、山本やさんの近くには、「墨堤植桜之碑」という、隅田川の桜の植樹に関する歴史を記した碑が建てられています。

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徳川吉宗と言えば『享保の改革』で、幕府財政立て直しのため、倹約を奨励するなどして、今でいうところの財政緊縮政策を実施した人ですが、民衆の心の機微を分かっていた人なのでしょう、民衆の楽しみのためにと桜を植えさせたそうです(隅田川の堤防を花見客に踏み固めさせるためだったという説もあるようです)。
ちなみに、夏に行われる、隅田川の花火大会を始めたのも徳川吉宗でした。

その後は地元の人たちが植樹を続けて桜の木を増やしていきました。
そうして、この隅田川の桜は江戸の名所として、浮世絵にも描かれるほど多くの人を集めるようになったようです。

また、桜を植えた場所も、浅草駅の周辺とかからではなく、最初はもっと上流、最寄り駅で言うと鐘ヶ淵駅の辺りにある隅田川神社の辺りからだんだんと南の方へ植樹されていったそうです。
浅草の対岸、現在の墨田区役所とかアサヒビール本社がある辺りまで桜が植えられたのは1880年頃になってから、なんだとか。
今、隅田川の桜としてにぎわっているところは、江戸時代には桜がなかったということですね。

【参考記事】
国立科学博物館:http://www.kahaku.go.jp/userguide/hotnews/theme.php?id=0001217208235425&p=4
レファレンス共同データベース: http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000013733
Asahi.Net: http://www.asahi-net.or.jp/~zr8t-iskw/bokutei_shokuou.html

 

関東大震災と隅田川沿岸の復興事業

そのようにして発展してきた隅田川の桜でしたが、1923年9月1日、関東大震災が発生。
昼食時に発生したことから、昼食を作る火から出火したうえ、能登半島沖には台風があって、関東地方でも強風が吹いていたため、隅田川の両岸、浅草・本所で大火災が発生しました。

火の手から逃れるため、隅田川まで逃げのびてきた人も大勢いましたが、空から火の粉が大量に降り注いで、川岸でも、川の中でも焼け死ぬ人が続出。
真っ赤に焼けたトタンや、燃える木製の電柱なども川に落ちてきて、川の水はお湯のように熱かったという体験談もあります。

この震災による大火災の結果、浅草・本所は壊滅してしまいました。
隅田川の桜がどうなったかについての記載はネット上では見つけられませんでしたが、おそらく、焼失してしまったのでしょう。

震災後、日本政府は後藤新平を総裁として帝都復興院を設置し、「帝都復興計画」を策定します。
その計画に基づき実施された「帝都復興事業」として、隅田川周辺では、「隅田公園の設置」と「言問橋の架橋」が行われます。

隅田公園の設置について政府は、

「隅田川の上流両岸、吾妻橋付近から白髭橋付近にいたるまでの沿岸を道路公園として整備する。これは、平時は行楽の地、災害などの非常時には人々の避難所にするためである。特に、この地は古来、史跡が多くあるため、これらの史跡を保存すると同時に、東京随一の臨川公園にする(原文は文語文)」

とし、公園の造成を行い、桜の植樹を進めたようです。
それが、今日、私たちが知っている「隅田川の桜」、隅田川の両岸にある隅田公園なのです。

【参考記事】
関東大震災・体験者インタビュー:http://www.hiroi.iii.u-tokyo.ac.jp/index-genzai_no_sigoto-tokyo_chokka_jisin-kantojisin_taiken1.html
隅田公園の歴史的変遷:http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00902/2004/24-0045.pdf

 

東京大空襲と隅田川

そうして復興した隅田川周辺ですが、1945年3月10日、アメリカ軍のB29による絨毯爆撃をうけます。
東京大空襲です。

日本の戦争継続能力を失わせるため、アメリカ軍は都市に存在する工場を破壊することを表向きの理由として、一般民衆の大量殺戮を行って戦意を喪失させることを計画。
日本の地形や家屋、歴史など綿密な調査を実施し、必要な兵器(焼夷弾)を開発、爆撃の実験も行い、当日の気象状況、延焼効果を高める強い季節風が吹くとの予測も加味したうえで、空襲を実施します。

3月10日00:07に、先導機が空襲の目標地点である深川、本所、浅草、日本橋に初弾を投下。
風下に当たる東側から西へ向かって、後続の279機のB29が爆撃を開始、38万1,300発、1,783トンの焼夷弾を投下しました。
この焼夷弾は地面、または建物に衝突すると焼夷剤に点火して、多数の火の玉を作り出して空中へ打ち上げ、周囲のものを焼き尽くしました。
爆撃による火災の煙は高度15,000mにまで達し、関東大震災の時にも発生した火災旋風(炎の柱)が発生して街は火の海と化しました。

火災から逃れるため、隅田川や、荒川などに人々が殺到しました。
前回の記事で少し触れた言問橋

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こちらの橋には、対岸へ渡れば火炎から逃れられると、両岸から人々が殺到しましたが、橋の上で両者がぶつかり、身動きが取れなくなってしまいました。
そこに火災旋風が襲い掛かり、人々に引火、橋の上には夥しい焼死体が残されました。

火炎を逃れて隅田川に飛び込んだ人たちも大勢いましたが、焼夷弾はゼリー化させたガソリンを使用しており、川面にまき散らされたガソリンが発火したため、隅田川は火の海と化し、その炎に焼かれて多くの方が亡くなりました。
また、川の中に潜っても、3月上旬の冷たい水に漬かって凍死する人も多数いたそうです。

【参考記事】
Wikipedia 東京大空襲:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E7%A9%BA%E8%A5%B2
Wikipedia 言問橋:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%80%E5%95%8F%E6%A9%8B

 

隅田川公園の追悼碑と桜

先程管理人が夜桜を見ていたところ。
この近くの、言問橋のたもとにはひっそりと、このような碑があります。

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東京大空襲犠牲者追悼碑」です。
案内板によると、3月10日の空襲で亡くなられた方たちの遺体は、この一帯に仮埋葬され、戦後になって荼毘に付され、墨田区横網町にある東京都慰霊堂に納骨されたのだそうです。

東京大空襲があった年からは74年。
今では、多くの人が桜を楽しみに訪れるこの公園、外国人も多く行きかうこの公園と橋、夜桜を眺めながらお酒が飲めるこの地ですが、そんな悲しい出来事があったことに思いをはせると、申し訳ないなと思うと同時に、今の平和な世界がどれだけ有難いものなのかということをしみじみと思い知らされます。
74年前のこの日には、ここには空襲で亡くなった方の遺体が埋葬され、桜だって焼失していたのに、今では、美しい桜が咲き誇り、その下でのんびりとお酒を飲んでいられるのですから。

ネットなどを見ていると、今、日本も再軍備して普通の国家に、という論がよく見られます。
中国の勢力拡大、北朝鮮の核武装、韓国との摩擦などを考えると、管理人も、日本の再軍備とかはやむを得ないのかなと思っています。
でも、先に述べたような悲惨な歴史を踏まえない再軍備には反対です。

歴史を振り返ると、日本人というのは極端に走る国民性を持っているようで、平和主義となったら極端な平和主義で軍隊も持たないと言い出す一方、戦前は八紘一宇、大東亜共栄圏などの理想を掲げて戦争を勧め、特攻だの一億総玉砕だの、本当に国民すべてが死ぬまで徹底的に戦おうとしていました。
おそらく、日本人、日本社会にある同調圧力のせいなのかと思いますが、強い指導者がいないと軌道修正もできず、破滅に向かって突き進んでいく、そんなところがある気がします。

2020年の東京オリンピックまでは、経済も比較的よい状態が保たれるため、大丈夫かなとは思いますが、その先、景気が後退して今までに蓄積された色々な負のことが顕現したとき、この国がどうなっていくのか不安に思います。
どのような選択をするのか、そもそも、どのような選択肢があるのか定かではありませんが、いずれにしても、私たちは私たちの進むべき道を決めていかないといけません。
その結果、どんな未来になったとしても、それは選択した私たちの責任です。

ただ、その選択する際に、ただその時の感情で決定するということはないようにしてほしいなと思います。
先に述べてきたような歴史を知って、それをわが身にも起こりうることだと想像することができるとすれば、誰も戦前のような日本にしたくないと思います。

Yahooニュースとかのコメントを見ていると、犯罪を犯した人や何か失敗した人に対して厳しい意見ばかりが述べられています。
まだ容疑者で、証拠も挙がっていない人なのに、犯人と決めつけて死刑にしろとかなんとかいうコメントとかをよく見かけます。
格差社会がひどくなりつつある中で、日ごろの憂さが蓄積されているために、そう思ってしまう人が増えているんだろうなとは思いますが、自分が批判していることを、自分も行ってしまうことがあるかもしれないという想像力が働くのなら、もう少し違う意見が出てくるのではないのかなと、管理人などは思ったりします。

戦争の悲しい歴史も同じです。
先ほど述べたようなことが、今後私たちの身の上に起きないとも限らない。

北朝鮮の核ミサイルが東京に飛来するかもしれないし、中国と尖閣諸島をめぐる争いをきっかけに、中国のミサイルや爆撃機により東京が空襲を受けるかもしれない。
そうして、過去の悲惨な歴史が私たちの身の上で繰り返されるかもしれない。
そんな想像力を持っていたら、北朝鮮問題にしろ、尖閣問題にしろ、韓国との摩擦にしろ、思うところは変わってくるのではないかなと思います。

もちろん、極端なことをいう人は少数ではあります。
でも、歴史を振り返ると、何かをきっかけに、その極端なことが多くの人に共有されて、その極端に向かって突っ走ってしまうという危うさが日本人にはあるように感じられます。

そんなことが実現しないように、はなはだ微力ではありますけど、二度と繰り返すべきではない歴史を語ることで、そのお役に立てたらなと思い、この記事を書いてみました。
平和の裏では戦争を求めてしまう心理がある、そんなことを暗示するために、昼の桜と夜の桜を対比させてみました。
管理人の今の文章力では、それはうまくいきませんでしたけど、誰かの目に触れて、悲しい歴史を知り、それが世の中をより良い方向へ導く一助になってくれたらいいなと思います。

 

○ 今回のお酒をかうならこちら

菊水ふなぐち一番搾り生原酒 新潟県菊水酒造 200ml缶
ふなぐち菊水一番しぼり200ml 5本詰
ふなぐち菊水一番しぼり200ml缶(30本詰)
ふなぐち菊水一番しぼり 500ml [ 日本酒 新潟県 ]
ふなぐち菊水一番しぼり 1000ml

 

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