日本酒の飲めるお店取材の旅 ―会津若松到着、そして、伊佐須美神社へ―

 

こんばんは☆

このブログをご覧くださいまして、ありがとうございます。

 

前回から、福島の旅の記事を始めまして、まず、棚倉町にある「都々古別神社」を訪れた、というお話をしました。

今回は、棚倉町から会津若松へとお話が移ります。

 

八槻にある「都々古別神社」を訪れた管理人、来た道を取って返し、一路、白河を目指します。

その途中、棚倉町にある棚倉城にも立ち寄って、城跡を見学。

こちらも写真撮り忘れたので言葉だけになりますが、棚倉城は小さなお城で天守台も大型の櫓跡もありませんが、立派な堀と土塁をめぐらしています。

幕末の戊辰戦争では、板垣退助率いる官軍の攻撃を受け、1日で落城したという歴史を持ちます。

これから登場する会津若松城は官軍の攻撃を受け、1か月以上も持ちこたえた末に、攻め落とされることなく、降伏という形で開城しました。

大砲の性能が飛躍的に向上した幕末の戦闘では、会津若松城のような総構えの大きな城でなければ、持ちこたえられなくなっていたのでしょうね。

 

さて、雨降りしきる棚倉城見学を終えて、白河に戻り、東北道に乗って会津を目指します。

白河I.C.から北へ向かい、郡山へ。

そして、郡山JCTで磐越自動車道に乗り換え、今度は西へ。

途中、意外と多くのトンネルを潜り抜けると猪苗代湖が左手に右手には磐梯山が見えてきます(写真は、高速道路を運転中なので撮れません^^;)。

さらにしばらく進むと、道路が下り坂に変わります。

この下り坂の向こうが会津若松市になります。

山に囲まれた平地に建物がびっしりと建っていて、かなり大きな町であるのがわかります。

この時、正午過ぎ頃。途中寄り道しましたが、群馬、といっても長野県に近い西の端ですが、から8時間で到着です。

 

ようやくたどり着いた会津。

まず最初に向かったのは、「伊佐須美神社」です。

会津若松城、とも思ったのですが、宿がお城の近くなので、先に別のところに行っておこうということで、会津若松市にある一之宮「伊佐須美神社」に行くことにしました。

こちらが「伊佐須美神社」です(ようやく写真登場)。

前回登場の「都々古別神社」は「陸奥国」の一宮で、こちらの「伊佐須美神社」は、「岩代国」の一宮になります。

参考まで、江戸時代、1869年に戊辰戦争が終わるまでは、現在の福島県、宮城県、岩手県、青森県は「陸奥国」と呼ばれていましたが、戊辰戦争後、明治政府は陸奥国を岩代(福島県中・西部)、磐城(福島県東武)、陸前(宮城県)、陸中(岩手県)、陸奥(青森県)の5国に分割しました。

その後、廃藩置県を経て、1876年に現在の福島県が誕生したというわけです。

「伊佐須美神社」は、元々は陸奥国の二宮でしたが、戦後になって、「全国一の宮会」という団体が、「新一宮」として、「伊佐須美神社」を一宮としたのだそうです。

 

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