【日本酒と歴史】本能寺の変にも関係してる?戦国~安土桃山時代に作られたお酒『諸白』のお話

こんばんは。
この記事をご覧くださいまして、ありがとうございます。

さて、今回は、『諸白』のお話をしたいと思います。

 

○Introduction

ご無沙汰しております、このサイトの管理人です。
前回、私が書いた記事から約4か月、直近で更新した記事からも1か月、久しぶりのサイト更新となりました。

この間更新がなかったのには色々と事情がありまして。
外注先から記事が入ってこなかったり、管理人が運営している会社が12月決算で、1年分の会計処理をまとめてやらなければならなかったり、税金関係の色々な届出書類の作成に追われたり、コロナのおかげで業務委託が全てなくなって収入が0となってしまったので、新しいビジネスの立上げに必要な色んな事をしなければならなかったり、行政書士登録で時間を割かれたり、目先の売上のためにスモールビジネスを引き受けたりしていて、記事が用意できなかったためだったりします。

そんな管理人に関する状況は、この1月も終わろうとする頃になってようやく解消されまして、では、記事でも書こうと思い立ったのですが、結構深刻な問題にあたってしまいました。
何かというと、『記事のネタがない』という問題です。

これまでの記事では、飲食店の紹介、旅、飲み比べなどをしてきたわけですが、飲食店は、緊急事態宣言のおかげでほとんどのお店がやっていないし、数少ないお店を訪れてそんな記事を書こうものなら、自粛警察に摘発され、お店に迷惑をかけることになりそうなので無理。
旅については、管理人は東京都民で、この不要不急の外出自粛を求められている中で旅に出るというのはよろしくないし、また、管理人、とある公的なお仕事をしているため、この非常事態宣言下でもけっこう外出をしているので、これだけ東京で感染が広がっていると、管理人も症状はないものの、コロナに感染していないとも限らなくて、その場合に旅なんかすると、コロナ感染症の拡大に貢献してしまうことになるから、旅するわけにもいかず。
そして、飲み比べは、面白みのあるネタが思いつかないのもあるのですが、管理人、昨年末の健康診断で血液検査の数値が悪化しておりまして、お酒の量を減らすように言われているため、お酒を飲む量がどうしても多くなってしまう飲み比べはなるべく避けないといけなかったりしまして。

そんなわけで、前回の記事から4か月ほど『記事のネタがない』という状態が続いていたりもしたのです。
とはいえ、外注の記事も入ってこない、年が明けて1か月以上も更新しないのはダメだろう、なにかネタないかなと悶々としていたとき、はっと思いつきました。
管理人の得意分野、『歴史』と日本酒を結び付ければいいと。

ここ2年ほどは、管理人以外の方に書いていただいた記事を主に掲載していましたが、その前、特にこのブログを始めた頃は、色々な意味で旅をする余裕があったので、旅と歴史ネタの記事がほとんどでした。
ただ、その頃の記事は、旅戸根木氏ネタがメインで、日本酒の話がほとんど出てこなかったので、これはいかんということで、お店紹介記事に替えたという経緯があったりします。

昔描いた記事は、管理人の知識・経験が足りなかったため、旅・歴史を日本酒に結びつけることができなかったのですが、その後、利き酒師の資格勉強をしたり、色々な本などを読む中で、日本酒を歴史という切り口で語るだけの知見を得ることができるようになっていることに思い至りまして、そこで今回、歴史ネタを切り口にした記事を執筆してみようと思い立った次第です。

 

○歴史ネタ第一弾は、、、

そんなわけで、歴史ネタを切り口にした記事を書くことにしたのですが、その第一弾に選んだのは、、、「明智光秀」
そう、来週最終回を迎える大河ドラマ『麒麟が来る』の主人公明智光秀です。


投稿者がファイル作成 – ブレイズマン (talk) 05:17, 14 June 2008 (UTC), パブリック・ドメイン,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=4214809による

 

ベタベタだな、という声が聞こえてきそうですが、まあ、そもそも、歴史ネタを切り口にしようと思ったのも、Yahooニュースで「明智光秀」の記事を読んでいたからでして^^;

管理人、大学は史学科(その大学では「歴史文化学科」というのが正式名称ですが、元々は「史学科」だったので、慣例的に『史学科』としています)を卒業しておりまして。
専攻自体は東洋史学で、卒業論文は古代イスラエルの『失われた十支族』の伝承に関する考察をしていたりするのですが、元々は歴史を学ぼうというか、好きになったきっかけは日本の城が好きだったからだったりします。
小学校4年生くらいの時は、よく、お城のプラモデルを作っていたような覚えがありますし、その頃から、図書室に置いてあった、「まんが日本の歴史」を何度も何度も読んでいましたね。

そこから始まって、小学校5年生の時に『独眼竜正宗』、のゲームにはまり、6年生の時に『武田信玄』の大河ドラマと学研の漫画を見て日本の戦国時代の歴史が好きになり、その副産物として、日本史が得意になり、高校に入って世界史も得意だったりしまして、大学の2次試験の得点率は8~9割だったりしました。

受験生のお子さんを持つ方がもし読まれているようでしたら、参考までにお話しておくと、管理人、歴史は教科書を一読するだけで7割は用語とか覚えられたのですが、その土台は、「まんが日本の歴史」を何度も読んで、歴史の展開の仕方というのが頭の中に入っていて、暗記を要求される歴史用語が相互に関連付けられたことだと思われます。
この「歴史の展開の仕方」というのがわかるようになると、「論理的思考能力」というものが形成されまして、読解力や数学力、語学力などを高めてくれて、全ての勉強・学問の習得につながっていきます。
一般的に、東大に受かる人というのはこの「論理的思考能力」を持っていまして、これがあるから記憶力もよく、東大の2次試験などにも対応できるのです。

話がわき道にそれましたが、そんな、歴史、わけても戦国時代が好きだったので、今でも、Yahooニュースなどで戦国時代系の記事が出てたりするとついつい読んでしまったり、ふっと戦国時代系のことが気になってググったりして、睡眠時間を削ってしまっていたりするのですが、その分、知識は蓄えられておりまして、その中には日本酒も絡むものもあるわけで、それをネタに記事にしたら面白いんじゃないかなと思って、『歴史をネタに』と思いついたわけです。

 

○本能寺の変の要因は?

現在放送中の『麒麟が来る』
この記事を書いている1/31未明時点では、あと2回で最終回を迎えるところで、おそらくは2/7の最終回では本能寺の変が描かれるだろうと予想されます。

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楊斎延一 – ブレイズマン (talk) 10:19, 12 July 2008 (UTC)による

この本能寺の変、もちろん、明智光秀が織田信長を討った政変なのですが、なぜ、明智光秀が織田信長に反旗を翻したのかは、明智光秀本人、またはその周辺の人がその理由を述べた史料(歴史的な文書)が残っていないことから謎となっておりまして、色々な人が色々な理由を述べていて、Wikipediaによると、その類型は、なんと53説!
その中で主なものとしては、明智光秀に天下取りの野望があったという「野望説」、朝廷を滅ぼそうとした織田信長を止めようとしたという「義憤説」、織田信長の横暴な振る舞いや残酷な仕打ちを受けたからという「怨恨説」、羽柴(豊臣)秀吉や徳川家康、信長に京都を追い出された室町幕府将軍足利義昭、果ては信長による簒奪を警戒した朝廷・貴族が陰で糸を引いていたという「黒幕説」などがあります。

『麒麟が来る』の評価は高いようですが、それはおそらくは、この大河ドラマは本能寺の変の要因を何にするのか、というところに歴史好きの人の興味関心が注がれているからなのではないでしょうか。
管理人は、テレビを持っていないので『麒麟が来る』を観てはいないのですが、Yahooニュースに掲載されているあらすじは追っていまして、それらとタイトル『麒麟が来る』から察すると、「義憤説」をとるのではないかなと思っています。

『麒麟』は、あのアフリカにいる首の長い『キリン』ではなくて、キリンビールのラベルに描かれている、あの龍みたいな感じの生き物のことで、中国で徳のある王が政治を行うときに現れるとされていた神聖な生き物のことです。
Wikipediaで『麒麟』の記事を見ると、織田信長は麒麟の字を象った花押(サイン)を使っていたと書かれています。

信長は天下を統一しようとしていて、麒麟を象った花押を用いているが、自分の目の前にいる信長は、徳のある王=人々が心安らいで暮らせるようにしてくれる存在ではない。
だから、信長が麒麟(天下を統べる王)となる前に、日本の安寧のために自分が信長を除かねばならないと考えて謀反を実行するに至るのかなと。
Yahooニュースの記事を見ていると、正親町天皇や足利義昭、徳川家康などから信長にとって代わってほしいということをほのめかされているようですしね。

本能寺の変の周辺史料

史料上は、近年、確認された本能寺の変の直後に明智光秀が雑賀衆に送った書状(「土橋重治宛光秀書状」)に、信長によって追放された足利義昭を京都に戻すべく努力することが大切、と書かれていたことなどから、足利義昭黒幕説が脚光を浴びています。
が、管理人は、これは、後付けの理由ではないかと思っています。

これを言うと歴史学というのは成り立たなくなってしまうのですが、本人が書いた書面に真実や事実が書かれている、とは限りません。
現代のビジネスでもそうだと思いますが、相手を自分の思うように動かしたいと思ったら、相手と状況に応じて、事実・真実と建前を使い分けるものです。
この「追放された将軍足利義昭を京都に戻すため」というのは、光秀の本心かもしれませんが、謀反を正当化するための建前の可能性も考えられます。

なにしろ、織田信長と交流のあった宣教師ルイス・フロイスの記録では、光秀は、
「その才知、深慮、狡猾さにより信長の寵愛を受けた」
「己を偽装するのに抜け目がなく、戦争においては謀略を得意とし、忍耐力に富み、計略と策謀の達人であった。友人たちには、人を欺くために72の方法を体得し、学習したと吹聴していた」
「誰にも増して、絶えず信長に贈与することを怠らず、その親愛を得るためには、彼を喜ばせることは万事につけて調べているほどであり、彼の嗜好や希望に関してはいささかもこれに逆らうことがないよう心がけ」
だったそうです。

これだけを読むと明智光秀はとんでもない悪人のように思えてしまいますが、生きるために戦う戦国時代、天下統一寸前までの大勢力となった織田家の最も有力な重臣の一人であったのですから、悪人ではなくても、思慮深く、相手をだます策略にたけていたのは間違いないでしょう。
そうした人であれば、書面に書いたことがすべて事実を述べているとは限らず、また、真意を他人に話したかどうかもわからないですし、話していたとしても、それが他人に漏れないようにしていたでしょう。
この辺が、本能寺の変の要因を謎としている原因なのかなと思われます。

ちなみに管理人は、本能寺の変の要因は「野望説」だと思っています。
羽柴秀吉の救援に向かえと命令されて軍を整えたとき、たまたま、近くで信長が少数の兵しか従えずに防御力の低い寺院に宿泊していて、信長を討つことができる状態になっており、織田家の軍勢を率いる重臣は、光秀を除いては皆最前線に出ていた。

この状態なら、今なら天下をとれる、と気づいたから謀反を起こしたのではないかなと。
光秀はその前半生はよくわかっていないものの、恵まれていない状態から苦労を重ねて織田家の筆頭に近い重臣となった人で、ある意味で、秀吉と同じような経歴なわけです。
織田家に元々仕えていたわけでもない人が、信長を喜ばせることは万事につけて調べ、実行して出世しているような、上昇志向の強い野心のある人なら、自分が頂点に立ちたいという考えを持っていたのではないでしょうか。

前々からよく計画していたわけではなく突発的に謀反を考えたから、朝廷や自身の与力大名、織田家の敵対大名への事前の根回しなどをしておらず、「三日天下」と言われるほどあっという間に滅ぼされてしまったのではないかと。
それ故、史料には本当の理由は残っておらず、史料の裏付けができないため、これまでも、そして、これからも本能寺の変の要因は謎のままなのではないかなと、管理人は考えています。

 

○本能寺の変直前の宴会で出された日本酒「諸白」

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、、、とまあ、歴史の話になると話が長くなってしまうのですが、ここからが本題です^^;

この本能寺の変が起こる半月ほど前に、織田信長は徳川家康を安土城に招いて接待しています。
これは、そのさらに1か月前に、武田家を滅ぼした信長を徳川家康が接待していまして、そのお礼として催されたものです。

その家康接待の責任者に命じられたのが明智光秀。
なのですが、信長がその様子を見に光秀の屋敷に行くと、腐った魚のにおいがしてきたため、信長は怒って光秀を解任。
恥をかかされた光秀はこれを恨んで本能寺の変を起こした、という話があったりします。

もっとも、これは江戸時代初期に作られた『川角太閤記』という、秀吉の伝記に書かれた話で、秀吉に仕えて当時の様々な記録を残した太田牛一という人が書いた信長に関する記録『信長公記』では光秀は接待役を務め切ったと書かれているそうなので、史実ではないようです。

ただ、この家康を信長が安土で接待し、その接待の責任者を光秀が務めたというのは史実のようで、この接待は『安土饗応』と呼ばれています。
この接待の際に用意された料理は天下人信長の権力を示すような豪華なもので、当時の美味なるものを全て揃えたようなものだったようです。
その料理を再現したものが、こちらの「安土城天主 信長の館」のWebサイトで公開されています。

私たちの知らない料理もありますが、奈良漬けとか、からすみとか、数の子とか、私たちの知っている料理名もあります。
からすみって400年前には存在してたんだと、管理人ちょっと驚きました^^

戦国~安土桃山時代の宴会

さて、こうした接待といえば、料理だけではなく、もちろん、お酒も出されます。
戦国時代から安土桃山時代、こうした接待の時に出す料理は『本膳料理』と呼ばれていました。

当時の接待では、
1. 式三献(しきさんこん)
2. 本膳、二の膳、三の膳
3. 硯蓋(すずりぶた)
の順に食事が供されていました。

『式三献』というのは、接待の主賓がまず盃をあげてお酒を飲み、続いて次の客に盃を渡して、、、と全員が回し飲みをし、これを3回行うというものです。
この時にも料理は出されるのですが、普通、この時には料理に手を付けないのが礼儀であったようです。

この式三献が終わると、実質的な接待の始まりで、本膳、二の膳、三の膳と料理が出されていきます。
ちなみに、この膳の数が多ければ多いほど上等な接待とされていたそうです。
そして、『硯蓋』という羊羹などのお菓子が出されて1次会が終了します。

お酒は、この1次会の食事を食べながら飲まれもするのですが、1次会が終わった後の2次会(平安時代にはこれを「穏座(おんのざ)」といっていたようです)の方が本当の酒宴で、こちらの方で本格的に飲んでいたそうです。
今とあまり変わらないですね^^

というわけで、接待ではお酒は欠かせないものだったのですが、この安土饗応ではどんなお酒が飲まれたのかが、記録に残っています。
その名は『山樽』
大和国(奈良県)にある正暦寺というお寺で作られていた『諸白』です。

諸白とは

『諸白』というのは、掛米(仕込み用の米)と麹米(麹を作るための米)の両方に白米を使って造るお酒のことで、現在の日本酒の原型となったお酒です。
私たちが「米」といって想像するのは精米された白い米、白米で、お酒造りに白米を使うのも当たり前でしょ?と感じると思います。
しかし、精米というのは、結構手間のかかることだったためなのでしょう、当時の酒造りでは、掛米には白米、麹米には玄米を使うという『片白』が一般的だったそうです。

管理人は昔、現在の日本酒、清酒は、とある酒蔵(鴻池屋。戦国時代の武将山中鹿之助の子が創始者)で働いていた職人が叱られた腹いせに、酒樽に灰を入れたところ、にごり酒(当時のお酒はにごり酒が普通だった)が清酒になったことから作られるようになったと聞いていたのですが、実は、それよりも前に、すでに清酒は誕生しており、それがこの諸白。

さらにこの山樽は、正暦寺のWebサイトの記載によると、仕込みを3回に分けて行う「三段仕込み」という技法や、現代の酒造りで使われている速醸酛(お酒を造りだす酵母の増殖を助ける乳酸。雑菌の繁殖を防ぎ、米をアルコールに変えるまでの時間を短縮する働きがあります)の原型となったと考えられている「菩提酛」の使用、腐敗防止のために発酵を終えた後、お酒の温度を70℃くらいまで上げて酒の味を悪くする菌を殺す「火入れ」なども行っていました。
ちなみに、「火入れ」の技術は、ヨーロッパでは1865年にパスツール(コロナ禍で待望されているワクチンによる予防接種、そのワクチンによる予防接種を開発したフランスの科学者です)が考案していますが、日本ではそれよりも300年ほど早く開発されていたわけです。

そのため、この諸白を作っていた正暦寺には「日本清酒発祥の地」と書かれた石碑が立っています。

現代の日本酒の原型・正暦寺の諸白

さてさて、この正暦寺の諸白は美味しいと評判の美味しいお酒だったそうで、そのため、信長はこの『山樽』と呼ばれていた諸白を9斗(=約162リットル)送るように命じたそうです。
そんな正暦寺の諸白ですが、江戸時代初期に大火事に見舞われたりして衰退し、酒造りも行われなくなってしまったそうで、『山樽』とよばれた諸白を現在では飲むことはできませんが、『山樽』を成り立たせていた要素のうちの一つ、「菩提酛」を使用して造られたお酒は現在も存在しているそうです(但し、本来の菩提酛は明治時代に一度焼失しており、正暦寺がある菩提山の湧き水から発見された酒造に適した乳酸菌を使っているそうです)。

正暦寺のWebサイトによると、以下のお酒が「菩提酛」を使用して造られているそうです。
三諸杉 菩提酛 純米(今西酒造、奈良県桜井市)
嬉長 菩提もと 純米(上田酒造、奈良県生駒市)
・八咫烏 菩提酛純米 浩然の気(北岡本店、奈良県吉野郡)
百楽門 菩提酛仕込 純米(葛城酒造、奈良県御所市)
つげのひむろ 菩提もと純米酒(倉本酒造、奈良県奈良市)
菊司 菩提もと純米酒(菊司醸造、奈良県生駒市)
・純米酒 菩提もと升平(八木酒造、奈良県奈良市)
・鷹長 純米 菩提酛(油長酒造、奈良県御所市)

この内、管理人は「鷹長」を飲んだことがあります。
管理人が若かりし頃、たしか20~21歳のころだったと思いますが、行きつけの焼肉屋さんで飲ませてもらったお酒でして、それまでは部活の飲み会でぬる燗一気飲みでしか日本酒を飲んだことがなく、日本酒はまずい酒として認識していた管理人の日本酒観を変えてくれたお酒です。

部活の飲み会で飲んでいた日本酒というのは、変に甘く、くどくていかにも安酒、という味のお酒だったのですが、この鷹長の味ときたら、今でも覚えているのですが、まろやかで自然な旨みがすっと切れていって非常に飲みやすく、何杯でも飲めそうな、本当においしいお酒でした。
この鷹長を飲んでいなかったら、こうしたサイトでこうした記事を書くこともなかったかもしれません。

その当時、というか、今、この記事を書くにあたっていろいろ調べて、初めて、鷹長が「菩提酛」を使って造られているということを知りました。
なんか、すごい縁に導かれた感じがします^^

 

終わりに

さて、ここまでで7,200字ほど費やしてしまったようで。
書き始める前は、本能寺の変→安土饗応→諸白と進んで、正暦寺の諸白はもう作られていないが、その諸白を手配したであろう明智光秀を討って天下人となった豊臣秀吉が好んだと言われる、正暦寺の諸白と並び称されたお酒「天野酒」が復刻されていて、その「天野酒」を、安土饗応でも出された料理と一緒に飲んでみました!
とする予定だったのですが、字数がだいぶ行ってしまったので、「天野酒」のお話は、次回に回したいと思います。

歴史について書きだすと、どうにも、あれもこれもと書きたくなって、どうしても字数がはねてしまうのですが^^;
ただ、やはり歴史って面白いので、これからも読んでいただけましたら幸いです。

それでは、また次回☆

【参考文献】
横田 弘幸 著「ほろ酔いばなし 酒の日本文化史」 敬文舎 2019年
上杉 孝久 著「日本史が面白くなる日本酒の話」 サンマーク出版 2014年
石毛 直道 著「日本の食文化史 ―旧石器時代から現代まで」 岩波書店 2015年
Wikipedia:「本能寺の変」「明智光秀」「麒麟」「本膳料理」「菩提泉」の項

 

☆ 今回のお酒を買うならこちら

三諸杉 菩提酛 純米 720ml
上田酒造 嬉長 菩提もと 純米 [ 日本酒 奈良県 1800ml ]
葛城酒造 百楽門 菩提酛仕込 純米 720ml
つげのひむろ 菩提もと純米酒 720ml 都祁氷室
菊司 菩提もと純米酒 720ml

 

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