【日本酒と歴史】口かみの酒、麹の酒、伝来の酒、日本酒の起源を辿ってみる2 ~考察編~

 

こんばんは。
サイト管理人です。

この記事をご覧くださいまして、ありがとうございます。

今回は、「日本酒の起源」についてのお話の続きです。

 

イントロダクション

前回は、唎酒師の基本テキスト『新訂 日本酒の基』(日本酒サービス研究会・酒匠研究会連合会(SSI)著、NPO法人FBO、2018年)に書かれている、以下の日本酒の起源3説を紹介しました。

① 大隅国風土記にある「口噛みの酒
② 播磨国風土記にある「カビ(麹)を利用した酒
③ 古事記にある「中国から伝来した麹を利用した酒

そして、それぞれについて、他の文献や、出典の記載なども交えながら、解説しました。

今回は、この3説を踏まえた上で、日本酒の起源について考察していきます。

 

「口噛みの酒」に関する考察

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まず、「口噛みの酒」について考えていきましょう。

「口噛みの酒」とは、『大隅国風土記』という奈良時代初期(710~720年頃)に編纂されたと考えられている書物に登場するお酒です。
お米を口に含んで噛み潰したものを、容器に吐き入れ、唾液に含まれる「アミラーゼ」という酵素と、空気中の菌の作用で造ったお酒です。

この「口噛みの酒」は、大隅国(今の鹿児島県)や日本だけでなく、中国や東南アジア、中南米、南太平洋の島々などでも見られるお酒なのだそうです。

ではこの「口噛みの酒」が日本酒の起源なのでしょうか。
これに対しては、管理人は「No」だと考えています
なぜならば、「口噛みの酒」と日本酒では作り方が異なるからです

確かに、「口噛みの酒」も日本酒も、
① 米を原料としている
② 米のデンプンを酵素や菌の力で糖分に変換する
③ 糖分を菌の力でお酒に変換する

というお酒造りの原理自体は同じです。

ですが、原理が同じだからといって、一方が発展・変化して他方になったとは必ずしも言えないでしょう。

 

原理が同じだからといって起源が同じなわけではない?

例えば、ウイスキーと麦焼酎。
どちらも「蒸留酒」で、その製造原理は、両方とも
① 麦を原料としている
② 麦からお酒を造る
③ お酒を蒸留器で蒸留して、アルコール度数を高める

と同じものですがウイスキーの造り方から麦焼酎が生まれたわけでも、そのまた逆でもありません(若干、乱暴な例えのような気もしますね^^;)。

一方で、泡盛と米焼酎、芋焼酎であれば、泡盛の製造法が九州に伝わって米焼酎が造られ、それが発展して芋焼酎になったと言えるでしょう。
こちらは、文献でそのつながりを追えるからというのもありますが、

・泡盛:米から造った醪(もろみ。お米とお酒がまじりあっている状態のもの)を蒸留して造る
・米焼酎:米から造った醪(もろみ)を蒸留して造る
・芋焼酎:芋から造った醪(もろみ)を醸造して造る

と、原理だけでなく、「原料から醪を作って、醪を蒸留させる」という製法そのものが同じになっています。
これに、地理的な近さが加わるため、泡盛、米焼酎が変化して芋焼酎が生まれたと考えられるわけです。

ちなみに、何気なく「泡盛の製造法が九州に伝わって」と書いていますが、これは、東アジアの蒸留酒は東南アジア、タイから伝わったと考えられており、文献上でも、沖縄の蒸留酒の方が、記載が古い(沖縄は15世紀半ば、九州は16世紀半ば)ためだと思われます。
もっとも、蒸留酒の製造法は、10~13世紀の間に中国に伝わっており、13世紀終わりから14世紀初めころ、つまり、元寇の前後を除けば、日本と中国は交易を行っていたので、中国経由で沖縄よりも前に蒸留酒の製造法が伝わっていた可能性もありそうですね。

 

「口噛みの酒」は日本酒の起源なのか?

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それはさておき、そんなわけで、ある2つの物の間に一見するとつながりがありそうでも、実際にはつながりがないということはあるわけです。
そうしたことも考慮に入れて「口噛み酒」と日本酒を見てみると、、、つながりはない、と考えるのが妥当なのではないかと思われます。

「口噛みの酒」の製造法である「アミラーゼが口中で噛んだ米を糖分に変え、空気中の菌で糖分を酒に変える」ということと、日本酒の製造法である「蒸した米に麹(カビ)をくっつけて米を糖分に変え、空気中の菌で糖分を酒に変える」ということとで、同じ効果が得られるというのは、細菌という肉眼では見えない存在が働いていることが判明した現代だから言えることです。

そうしたことを知らない人たちが、「米を噛む」という方法を、「蒸した米に麹(カビ)をくっつける」という方法に変えた、その過程の説明がつかないと思われるのです。
もちろん、経験的にとか、偶然発見したと考えられなくもないですけど、ちょっと飛躍がありすぎるのではないかと。

仮に、カビが生えている米から酒ができたのを見て、米を噛まなくてもカビが生えれば酒は造れるんだと気づいて、「米を噛む」のを「蒸した米に麹(カビ)をくっつける」に変えたのだとしたら、それは、「口噛み酒」ではなく、カビの生えた米からできたお酒こそが日本酒の起源なのではないか、というのが管理人の考えです。

そんなわけで、「口噛み酒」は日本酒の起源ではない、というのが管理人の考察です。

 

「カビ(麹)を利用した酒」に関する考察

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続いては、「カビ(麹)を利用した酒」について考えてみます。

こちらは、『播磨国風土記』という、おそらくは『大隅国風土記』と同時期に書かれた書物に載っているお酒です。
庭音村(現在の兵庫県宍粟(しそう)市)で、神様に捧げるご飯(今とは違い、蒸した米のことだそうです)にカビが生えたので、酒を造らせて神様に捧げ、宴会をしたということが書かれていて、これが日本酒の起源ではないか、というものです。
現在の日本酒も、蒸した米にカビをくっつけて造っているので、これが日本酒の起源というのは納得のいくところです。

ただ、管理人的に若干、違和感を抱くのは「神様に捧げたごはんにカビが生えたので、酒を造らせ」というところです。
この文章、その文章だけを読むと、カビが生えたご飯からお酒を造った、と単なる事実、エピソードを述べているだけで、これがお酒の起源だ、ということは書かれていないからです。

前回の記事に原文を転記しているので読んでいただけると分かるのですが、この文章には「これが酒造りの基となった」とは一言も書かれていません
原文は確認できませんが、こちらのサイトで、この一文の前後も含めた現代語訳が載っているのですが、これによると、「こうしたことがあったので、この村を『庭酒(にはき)村』という。」とあるだけです。

このお話の位置づけ(村の名前の由来)から考えると、このカビが生えた蒸したご飯からお酒を造るということは普通に知られていたことであることが察せられます。
そして、そうだとすると、このお話の中で語られているお酒の造り方が、当時のお酒の造り方ではないということが導き出されると思います。

そう考えてくると、以上のエピソードから、蒸したお米にカビが生えると、一歩進んで、蒸したお米にカビを生えさせるとお酒ができる、という、現代と同じお酒の造り方をとうじのひとたちはしていたのだということがこのお話から分かります。
このようにしてできるお酒を、風土記では『酒』と呼んでおり、明治時代以前においては、『酒』=『日本酒』と考えてほぼ問題ないわけですから、この「カビを利用した酒」が日本酒のご先祖であることは間違いないのではないでしょうか(昭和の頃までは、居酒屋でも「酒」=「日本酒」だったそうです)。

 

「中国から伝来した麹を利用した酒」に関する考察

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続いては、『古事記』に書かれている「中国から伝来した麹を利用した酒」について考えていきましょう。

こちらは、西暦270~310年に在位していたとされる、応神天皇の時代のこと。
日本の歴史区分では、古墳時代と呼ばれる頃ですね。

この頃、朝鮮半島から移住してきた人たち(渡来人)の中に「須須許理(すすこり)」という酒造りの技術を持った人がいて、この人が造ったお酒のあまりのおいしさに、応神天皇が和歌を詠んだ、というものです。

朝鮮半島から移住してきた人たちは、始皇帝などの中国の皇帝の子孫だったそうで、この朝鮮半島を経由して日本にやってきた中国の人たちがもたらしたお酒が日本酒の起源なのではないか、という説です。

もっとも、前回の記事に原典の文章を載せていますが、先ほどの『播磨国風土記』と同じように、本文には「これが酒造りの基になった」という記載はありませんし、その前後にもありません。
もっというと、「蒸した米にカビをくっつけて造った」などの作り方に関する言及も一切ありません

 

さらにいうと、酒造りの記録に関しては、実は、日本書紀の崇神天皇記の中に次のような記載があります(原文はこちらのサイトから引用)。

【原文】
八年夏四月庚子朔乙卯、以高橋邑人活日、爲大神之掌酒

【書下し文】
(8年夏庚子朔乙卯、高橋邑の人、活日を以て、大神の掌酒となす)

【現代語訳】
(崇神天皇)8年4月16日に高橋邑の活日を(大神神社の)大神の掌酒に任命した

崇神天皇は、第10代天皇で、『日本書紀』などによると、在位年は紀元前97~30年、120歳で崩御されたと書かれているそうです。
現代人でもまず無理なほど長生きをされているので、古代の天皇の在位年に関しては疑問視されることが多かったりします。

初代天皇の神武天皇、第10代崇神天皇、第15代応神天皇は諡号(『神武』、『崇神』、『応神』などの、亡くなられた後に贈られる名前のこと。)に「神」の字を持っているが、いずれも治世中の出来事が似ており(大々的に異民族を討伐するとか)、応神天皇以前の天皇は寿命が長く、これといった出来事もないから、建国時期を古くするために、初代天皇の功績を、「神」の字を持つ天皇に分割しているのだ、といったことをいう人がいたりします。
ちなみに、寿命については、魏志倭人伝に「人々は長寿で、100歳の人もいる」と書かれているので、120歳というのも一概には否定できないと思われます。

この手のお話は面白くはあるものの、話し出すと長くなるので、ここでは、それは措いておきましょう。

ということで、崇神天皇の治世が紀元前97~30年だったとすると、「(崇神天皇)8年」はBC90年になります。
日本の歴史区分では、「弥生時代」になります。
この頃には「掌酒」という役職があったということです。

今でも、「職掌」という言葉がありますが、この「掌」は「つかさどる」という意味で、「ある役目・任務を担当すること」です。
なので、「掌酒」はお酒に関する任務を担当する人で、神様に供えるお酒を造る人のことです。

 

日本人は根っからのお酒好き?

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こうした役職があったということは、この頃には普通に酒造りが行われていたということでしょう。
これは、別の文献でも確認できることで、3世紀ころの中国の歴史書『三国志』の中にある、いわゆる「魏志倭人伝」には次のように書かれています(こちら、原文はWikipediaからの引用です)。

【原文】
其死、有棺無槨、封土作冢。
始死停喪十餘曰。
當時不食肉、喪主哭泣、他人就歌舞飲酒。
已葬、擧家詣水中澡浴、以如練沐。

【書下し文】
その死、棺有りて槨なく、土を封じて塚を作る。
死始まり、停喪すること十余日。
時に当たりては、肉を食さず、喪主は哭泣し、他人は歌舞飲酒に就く。
すでに葬るや、家を挙げて水中に詣で澡浴す、以て練沐のごとし。

【現代語訳】
人が死ぬと、棺はあるが槨(かく。棺を安置する区画、または、棺を蓋う外囲いのこと)はなく、土で封じて塚を作る。
死後10日ほどは停喪(遺体を葬らずにおくこと。もがり。死者が本当になくなったのかを確認する儀式)する。
その時には、肉は食べず、喪主は大いに泣き悲しみ、それ以外の人は歌い、踊り、酒を飲む。
遺体を葬ると、家中みんなで水の中に入り体を洗う。それは、中国の練沐のようである。

端的に言うと、倭(昔の日本)の人は、人が亡くなるとお墓を作り、遺体を葬るまでの10日間ほど、喪主は泣き悲しむけど、それ以外の人は歌って踊って飲んでいる、というのです。

管理人も群馬県と北海道で、お葬式を出す側になったのですが、葬儀の前の日までは、歌ったり踊ったりはしなかったものの、親族でお酒を飲んでいましたね。
北海道での葬儀が最初だったのですが、びっくりして北海道の親族に尋ねたところ、北海道ではそういうしきたりだと言われましたし、群馬でも、しきたりとは言われませんでしたが、葬儀場では当然のようにお酒が用意されていたので、やはり、しきたりなのでしょう。

 

さらに、『魏志倭人伝』にはこんなことも書かれています。

【原文】
其會同坐起、父子男女無別。
人性嗜酒。
見大人所敬、但搏手以當跪拝。
其人壽考、或百年、或八九十年。

【書下し文】
その会同・坐起、父子・男女の別なし。
人の性、酒を嗜む
大人を見て敬するところ、ただ搏手し、以て跪拝に当てる。
その人寿は考にして、あるいは100年、あるいは8,90年。

【現代語訳】
人の集まりでの儀礼には父子や男女の別がない。
人々は根っからの酒好きである。
身分の高い人を見かけて敬意を表する時には、ただ手を叩くだけで、これを以て中国の跪拝(きはい。ひざまずいて拝むこと)としている。
人々の寿命は長く、100歳の人もいれば、8,90歳の人もいる。

人性嗜酒」。。。なんとも味わい深い一文です。

「性」は「せい」と読み、性格とか性質の意味です。
「さが」と読んで、「人の性」=「(自分ではどうにもできない)うまれつきの性質」「運命」の意味になることもありますね。

「嗜」は「たしなむ」。
今でも、「お酒を嗜む」という形で使われ、「好んで親しむ、愛好する」の意味ですね。

この一節の訳し方は人それぞれでしょうが、管理人の現代語訳はこの辺を踏まえて、上記のように意訳しています。

まあ、今、コロナが蔓延している中でも、政府に自粛と言われても説得力がないとか、我慢疲れだとか、なんだかんだと言って、何人かで集まってお酒を飲んでいる、なんていう報道を見ていると、この『魏志倭人伝』の「人性嗜酒」という言葉には、(当時の)、という断り書きが付いてしまいますけど、日本人に対する正確で的確な観察力がうかがえますし、また、最近の自粛疲れ報道を見ていると、ものすごい納得感をもってしまいます。
1,800年前から酒好きで、葬儀期間にみんなで歌って踊って飲んでしてたのだから、コロナが流行ったくらいじゃ、やめられないよねって(笑)

 

弥生時代にはお酒を飲むのは普通のことだった?

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話が逸れてしまいました。

この、『魏志倭人伝』は中国、三国の一つ、魏に邪馬台国の卑弥呼が使者を送ってきたこと、その返礼として魏から邪馬台国へ使者が送られたことが記されたものです。
卑弥呼が使者を送ったのは、西暦238年、魏の使者が送られたのが240年、魏志倭人伝における日本に関する記述の最後、卑弥呼の後継者である壱与(いよ、または、とよ)が魏の後継国家である晋に使いを送ったのは266年とされています。
応神天皇が即位したとされるのが270年ですから、その少し前のことで、卑弥呼や壱与の時代頃までを、日本史の時代区分では「弥生時代」と呼んでいます。

したがって、西暦240年までには、日本では「人性嗜酒」と中国の使者に書かれるほど、お酒は普通に飲まれていたわけです。
「酒」といっても、詳しいことは書かれていないので、日本酒、前説で考察した「カビ(麹)を利用した酒」ではない、と言えるかもしれませんが、当時の中国では、前回の記事でも書いていますが、すでに、日本酒と同じ、「カビ(麹)を利用した酒」が普及していました。
そのため、当時の中国の人にとっての「酒」は「カビ(麹)を利用した酒」のことだ、と考えても問題はないでしょう。

そうだとして、「人が亡くなった時には棺を作るが槨はない」とか、「人の集まりでの儀礼には父子や男女の別がない」とか、当時の日本人の習俗を事細かに観察して書き残し、「人性嗜酒」とまで記録している人が、仮に、当時の日本人の飲んでいるお酒が「カビ(麹)を利用した酒」でなかった場合に、彼らの飲んでいるお酒が、当時の中国のお酒と異なるものを飲んでいたとしたら、記録に残さなかったはずはないでしょう(その記録が失われたという可能性だってなくはないですが、かなり無理があるでしょう)。

以上のように推論してくると、応神天皇が即位する前の3世紀半ばまでには、日本では、日本酒の先祖、「カビ(麹)を利用した酒」が広く飲まれていたと考えられるでしょう。

となると、応神天皇の時代に伝来した「中国から伝来した麹を利用した酒」が日本酒の起源である、という説も否定されるといえるのではないでしょうか。

 

では、日本酒の起源はなんなのか?という核心部分に入るわけですが、、、
すみません、ここまでで7,000字近くを費やしてしまいました。

マンガではないですが、引き逃げで引っ張っているような感じになってしまい申し訳ないのですが、最後の核心部分は記事を改めてお送りしたいと思います。

それでは、今回は、この辺で。
次回、日本酒の起源の結論をお楽しみに!

 

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