【日本酒と歴史】口かみの酒、麹の酒、伝来の酒、日本酒の起源を辿ってみる3 ~結論編~

 

こんばんは。
このブログをご覧いただきまして、誠にありがとうございます。
サイト管理人です。

今回は、前回・前々回に続きまして、「日本酒の起源」についてのお話です。

 

イントロダクション

前回の記事では、唎酒師の基本テキスト『新訂 日本酒の基』(日本酒サービス研究会・酒匠研究会連合会(SSI)著、NPO法人FBO、2018年)に書かれている、以下の日本酒の起源3説について考察しました。

① 大隅国風土記にある「口噛みの酒
② 播磨国風土記にある「カビ(麹)を利用した酒
③ 古事記にある「中国から伝来した麹を利用した酒

①については、唾液の成分アミラーゼを使って作る「口噛みの酒」と、カビを使って作る日本酒とでは、つながりがあるとするには飛躍がありすぎるので、少なくとも、直接的なつながりはない、と結論付けました。

②については、文献に書かれた「カビ(麹)を利用した酒」そのものは、文献内でもそのような記述が見当たらないことから、日本酒の起源ではないものの、「カビ(麹)を利用した酒」そのものは、日本酒の製造原理と同じなのでご先祖さまだと言えるのではないか、と結論付けました。

③については、『古事記』の「中国から伝来した麹を利用した酒」の時代(西暦280年前後の頃)よりも古い時代、『魏志倭人伝』に書かれている邪馬台国の女王卑弥呼の時代(西暦240年前後)について、「人性嗜酒(人の性、酒を嗜む)」と言われていたこと、また、同時代の中国では、日本酒と同じく「麹を利用した酒」が一般的に作られていたと考えられることから、弥生時代後期には、日本でも「麹を利用した酒」が一般的に飲まれていたと推察しました。

今回は、これらのことを踏まえて、日本酒の起源をさらに探っていきます。

 

文献でたどれるのは弥生時代まで?

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これまでの考察で、日本酒の起源について、『魏志倭人伝』が対象としている西暦240年頃までさかのぼってきました。
また、前回の記事で、実在性や年代に疑義があるものの、『日本書紀』では、崇神天皇の時代、紀元前90年に「高橋邑の人、活日を以て、大神の掌酒となす(高橋邑の活日を大神の掌酒に任命した)」という記述があったことを紹介しました。
いずれも、日本の時代区分では『弥生時代』になります。

神話の時代のお酒の記述

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それでは、この紀元前90年よりも前のことはどうでしょうか。
『日本書紀』では、次のような一節があります。

【原文】
已而弟猾大設牛酒、以勞饗皇師焉。

【書下し文】
(已而(すで)にして弟猾(おとうかし)、大いに牛酒を設け、以て皇師を勞饗(ねぎみあへ)す。)

【現代語訳】
その後、弟猾(おとうかし)は、盛大な酒宴を設けて、天皇の軍隊の兵士たちを慰労した。

こちらは、初代天皇である神武天皇が、宮崎県の高千穂から、奈良県まで遠征したという神武東征の中の一節です。
Wikipediaによると、これは紀元前663年のこと。
現在の奈良県宇陀市の辺りまでやってきた神武天皇の軍に、当地の支配者である弟猾が、牛や酒をふるまう酒宴を設けて、天皇の軍隊をねぎらったというものです。

ちなみに、この頃、中国は春秋戦国時代、ヨーロッパでは、ローマ帝国の起源である都市国家ローマが誕生してから100年後くらい、中近東ではアッシリア帝国がエジプト・メソポタミアを支配していた時代、になります。
まあ、高校生や大学受験生でないと、なんだかよくわからない時代です^^;

『日本書紀』では、この神武東征以前のことを「神代」、つまり、神話の時代としています。そして、それ以降を「人代」、誤解を恐れずに言えば、史実の時代としています。

神代でもっとも古いお酒に関する記載は、スサノオノミコトがヤマタノオロチを倒すために、「八醞酒(やみおりのさけ)」を飲ませて泥酔して寝てしまったところを滅多切りにして倒した、というヤマタノオロチ退治のくだりです。
『古事記』でも同様で、ヤマタノオロチ神話に出てくる「八塩折之酒(やしおりのさけ)」が最も古いお酒に関する記載になります。
そして、両書とも、お酒の起源については語っていません。

『魏志倭人伝』以前の日本に関する文献

日本国外の文献では、中国の書物があります。
先に挙げた『魏志倭人伝』の前の時代で、日本に関して記載しているものには、日本史の教科書などで習ったことを覚えている方もいると思いますが、『漢書地理誌』と『後漢書東夷伝』があります。

それほど重要な文章でもないので詳細は省略しますが、管理人の頃の高校の日本史の資料集には、こんな3つの文が載せられていました。
楽浪海中に倭人有り、分かれて百余国をなす。歳時を以て来たり献見すと云う。
建武中元二年(西暦57年)、倭の奴国、貢を奉じて朝賀す。使人自ら大夫と称す。倭国の極南界なり。光武賜うに印綬を以てす。
安帝の永初元年(西暦107年)倭国王帥升等、生口160人を献じ、請見を願う。

テストか何かで穴埋めをさせられたような覚えもある気がしますね。
まあ、歴史の専門家なら、原典の一節を憶えることもあるでしょうけど、別に憶えようとして憶えているわけではなく、何度も読んでいるから憶えているだけで、憶えようとして暗鬼に時間を割く人なんていない、無駄な作業だと思うんですけどね^^;

それはさておき、両書とも、お酒に関するような記述はありません。
そのため、文献でたどれる日本のお酒の記載としては、紀元前663年の神武東征の一節までということになりそうです。

神武天皇の時代も史実性が疑われているのですが、それは措いておくとして、この年は日本の年代区分では『弥生時代』、その中でも前期に当たります。
したがって、文献でたどれる日本酒の起源は弥生時代までということになりますが、結局、起源については、分からずじまいでした。

 

文献では日本酒の起源はわからない?

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以上をまとめると、日本酒の起源は「カビ(麹)を利用した酒」で、弥生時代頃には一般的に普及していた、というのが結論となります。

。。。と、これで終わると、ここまで引っ張っておいてそれか?期限を解明してないじゃん!
と怒られそうですね(笑)

はい、ここがこのテーマで記事を書くときに一番難儀したところでして。
文献資料だとここまでしか辿れないのです。

そう、結論がないというのがこのテーマの最大の難点でして。
それゆえに、構想から半年、記事が書けなかったのです。

ただ、まあ、そうは言いつつ記事にしたということは、これ以上の見解にたどり着いたからなわけです。
文献で直接たどれない歴史を調べて一定の結論を出すには、文献や「考古学」なども絡めて間接的に推論していくしかありません。

この「間接的に推論」というのは、良い悪いは別として、はっきり言ってしまうと、自分の論に都合が良いように文献を解釈していくこと、だと管理人は思っています。
なので、先に出した結論が、確実な事実としては最も正しいものだということになります。
しかし、ここではそれを踏まえた上で、日本酒の起源について考察して、結論を出しに行きます。

 

日本酒の起源は日本?それとも海外?

結論を出すために、ここまでのことを少し整理しておきます。
まず、日本酒の起源は「カビ(麹)を利用した酒」であろうこと。
そして、神武天皇の時代のことはひとまず措いて、西暦240年頃、邪馬台国の女王卑弥呼の時代には、「カビ(麹)を利用した酒」が一般的に飲まれていたと考えられること。

その上で、日本酒の起源を探るときに考えるべきことは、この「カビ(麹)を利用した酒」は、
① 日本で独自に生み出されたものか
② 中国、朝鮮半島、東南アジアから伝わってきたものか

ということかと思います。
この2つについてそれぞれ考察していきます。

「カビ(麹)を利用した酒」は日本で独自に生み出されたものか?

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まずは、「① 日本で独自に生み出されたものか」について。

これについては、「わかりません」としか言いようがありません。
ふざけんな!と仰りたくなるかもしれませんが、事実として、そうとしか言いようがないのです。
なぜなら、証拠や手掛かりがないからです。

仮に、日本の「カビ(麹)を利用した酒」が日本で独自に生み出されたものだったとしても、現在までのところ、弥生時代以前の遺跡などから、「カビ(麹)を利用した酒」を造っていた遺物が出土していないためです。
何かないかなと、Amazonで買える日本酒の歴史、考古学的な本とかを買って読んでみたのですが、そうした発見について書かれているものはありませんでした。

弥生時代以前のお酒に関する遺物は大変に少ないようで、見つかったのは以下の2つでした。
・青森県青森市の三内丸山遺跡出土「注口土器
・長野県富士見町の藤内遺跡出土「有孔鍔付壺」「半人半蛙文有孔鍔付土器

ただ、いずれの遺物も、ワインのような醸造酒に関係するものだろうとされていて、米の酒や、まして、日本酒の祖先と考えられる「カビ(麹)を利用した酒」とは無関係と思われます。
(なお、「注口土器」については、『日本酒の起源:カビ・麹・酒の系譜 [新版]』(上田誠之助、八坂書房、2020年)に、「半人半蛙文有孔鍔付土器」については、『ほろ酔いばなし 酒の日本文化史』(横田弘幸、敬文社、2019年)に詳しいので、興味のある方は読んでみてください。)

そのため、まず、「カビ(麹)を利用した酒」を造っていた証拠がないのです。

では、逆に、日本の「カビ(麹)を利用した酒」が日本で独自に生み出されたものではないことの証明、というのは、これは『悪魔の証明』というもので、基本的にこうした消極的事実の証明は不可能です。

なので、『「カビ(麹)を利用した酒」は日本で独自に生み出されたものか?』という命題に対しては、「わからない」というのが答えとなります。
しかし、これまでの発掘調査で「カビ(麹)を利用した酒」を造っていたと考えられる遺物は出てきていないので、将来的には分かりません。
ただ、少なくとも、現時点においては、『「カビ(麹)を利用した酒」は日本で独自に生み出されたものではない』と言ってもよいと考えられると思います。

「カビ(麹)を利用した酒」は海外から渡ってきたもの?

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①②の二択で、①が正解でなければ、答えは②しかありません。
日本酒の起源は、「中国、朝鮮半島、東南アジアから伝わってきたもの」と考えられます。

それでは、いつどこから伝わってきたのでしょうか?
管理人の結論としては、

紀元前11~10世紀頃(縄文時代末期~弥生時代初期)に、殷(商)滅亡後の戦乱を避けようとした殷や「夷」と呼ばれた人たちがもたらした「カビ(麹)を利用した酒」が日本酒の起源。

です。

章を改めて、順を追って説明していきましょう。

 

「カビ(麹)を利用した酒」は縄文時代末期に中国からやってきた?

この結論に至るには3つの論点があります。
それを一つずつ考えていきます。

『紀元前11~10世紀頃(縄文時代末期~弥生時代初期)』の根拠は?

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まずは、時期について
中国から伝わったのは「縄文末期~弥生時代初期」としていますが、もう少し特定すると、紀元前1046~977年の前後だと思っています。

これ、何の年代かというと、中国の古代王朝である殷の滅亡年から、周朝第4代昭王の没年までになります。
殷の滅亡は、1990年代後半に連載・アニメ化され、2018年に再アニメ化された、太公望や四不象が活躍する『封神演義』の舞台ですね。

殷については、前回の記事で少し触れています。
殷の時代の王である武丁(紀元前1200年頃)が、傅説という人を評して「酒や甘酒造りに例えるなら、君は(酒を造るのに必要な)麴糵にあたる。」いったという話が、『書経』という書物に書かれているそうで。
ここから、殷の時代には「カビ(麹)を利用した酒」は中国では一般的に作られていたと考えられます。

そして、この殷が滅亡したころというのは、日本史では、縄文時代末期、弥生時代が始まる少し前頃になります。

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縄文時代と弥生時代の区別は、狩猟・採集生活が中心だったのが縄文時代、稲作が中心だったのが弥生時代、というものです。
管理人が高校生くらいの頃は、弥生時代は紀元前3世紀~紀元後3世紀と憶えやすい状態でした。

ところが今は、発掘調査が進んで、紀元前10世紀~紀元後3世紀(中頃)となっているそうです。
要は、紀元前10世紀ころから稲作中心になっていったというわけですね。
ちなみに、紀元前10世紀というのは、紀元前1000~900年までに当たります。

日本酒は米を原料にしてカビ(麹)を使って作るお酒ですので、そもそものお話として、米がなければ存在できません。
そして、おそらくは、お酒は食べる分以上の米が収穫できなければ造らないでしょうから、米の生産量がある程度多くなったころに作り始めたと考えられます。

実のところ、稲作自体は縄文時代から始まっていましたが、狩猟・採集をしのぐほど生産量が多くはありませんでした。
その立場が逆転したのが弥生時代というわけで、したがって、日本酒の起源は弥生時代の始まりの前後以降とならざるを得ないわけです。

こう考えてくると、殷の滅亡の時期と、弥生時代が始まった年代が近いことが注目されます。
殷の滅亡年代は、弥生時代の始まりよりも少し前になっています。

そして、紀元前977年の方ですが、これは、周王朝第4代昭王の没年になります。
周とは、殷王朝を倒して中国を支配した王朝です。

殷王朝が倒されて周王朝が樹立された後、殷王朝の人々や、その周辺(現在の山東省)にいた『(東)夷』と呼ばれた、周王朝の人々からすると異民族とされていた人々が反乱を起こします。
それらの反乱が収まった後、第4代昭王は、更にその南方にいた異民族たちに対する遠征を行って、現在の江蘇省辺りまでを支配下におさめました。

この遠征は昭王が亡くなるまで行われていまして、その昭王が亡くなったのが紀元前977年です。
日本だと、弥生時代が始まったころに当たります。

この殷の滅亡から昭王の南方遠征が終わるまでの間、山東省(山東半島の辺り)から江蘇省(山東半島の南から上海の辺り)にかけての地域では、何度も戦乱が発生していました。
おそらくは、多くの虐殺が行われ、それを逃れようと多くの人が住んでいた地を離れたと想像されます。
そして、地理的には、山東省、江蘇省は中国の東側の沿海部で、その東には、朝鮮半島、日本があります。

そう考えてくると、一つの仮説が浮かび上がります。
殷の滅亡後の戦乱で、殷やその周辺にいた人たちの一部が、日本に渡ってきて、稲作と酒造りをもたらしたのではないか
そして、それによって、日本では稲作が急速に広まり、稲作が中心の弥生時代になったのではないかと推察されるのです。

 

縄文時代末期に中国から日本に海を渡ってくることができたの?

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突飛な仮説と思われることでしょう。
そこで、次の論点です。
縄文時代末期や弥生時代初期に中国から日本に海を渡ってくることができたの?」

私も、最初は無理なのでは?と思いました。
この時代から1,500年以上も経った時代に日本と中国の間を往来した遣唐使は、遭難して帰らない船が何艘もありました。
そんな後の世でも難しいことなのだから、無理なのでは?と思うのが普通でしょう。

しかし、そうではないかもしれません
私たちは、時代が経てばたつほど、技術は向上する。
逆に言うと、昔の技術は今よりも劣っている、という考え方をします。

しかしながら、歴史、特に技術については未来に向かって一方向に発展するわけではありません
様々な理由で退化してしまったことが歴史上何度も起きています。

例えば、私たちは無意識に、民主主義は発展した国の政治制度、王政や独裁制は遅れた国の政治制度、という考え方をすることがあるように思います。
しかし、それは間違いで、日本やイギリスなど、先進国と呼ばれている国でも、天皇制や王政などの君主制をとっている国は多くあります。

また、古代に存在したローマ帝国は帝政の国でしたが、ローマは、
王政→民主政→独裁制→帝政
という経過をたどりました。
一度は王政から民主制に移行したものの、その後、色々な事情(基本的には社会の変化、貧富の差の拡大です。今の日本やアメリカで見られるようなことが起きたのです。)から独裁制に移行し、やがては帝政へと移行しました。

民主政=発展した国の政治制度だと仮定しても、政治制度が後退してしまうこともあるわけです。

また、技術の事例を挙げると、例えば、ピラミッドなどは、現代の技術でも簡単に作れるようなものではないのに、4,000年以上も前に実際に作られています。

また、日本では、「たたら製法」という製鉄法がありました。
これは、大量生産には向かないものの、硬く、様々な道具を作るのに最適な鉄を作ることができる技術で、鉄としての品質は、現代の普通の製鉄技術でもかなわないものでした。

その「たたら製法」は、明治時代になって、安価で大量生産に向いた西洋式の製鉄法が盛んになるとすたれて、大正時代には途絶えてしまいました。
その後、1977年頃から「たたら製法」の復興が始まり、その過程で得られた様々な技術が取り入れられて、日本の製鉄技術は非常に質の高い鉄を作れるようになったのだそうですが、それでも未だに復興できない製鉄法もあるそうです。

そんなわけで、技術は、途絶えることによって退化したりすることもありまして、日本の造船技術は、奈良時代から平安時代にかけて、どんどんと退化していきました(そのため、平安時代の日本は中国の文物を積極的に輸入することができず、「国風文化」というものが発達することになったと考えられるわけです)。
逆に言うと、それ以前は、高度な造船技術があって、航海できていたということです。

そのよい例が、「倭の五王」というものです(長くなるので詳細はWikipediaのこちらのページを読んでみてください)
これは弥生時代のすぐ後の頃、中国の揚子江以南、江南地方にあった王朝(南朝)に使いを送っていた5人の王のことです。

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当時、揚子江の北には異民族の王朝(北朝)がありました。
上の地図を見ればわかると思いますが、日本から南の王朝に行くには、陸伝いに行くとしたら、その異民族の国、北朝を通らなければなりません。

しかし、異民族の王朝が、自分たちの敵の国に行くことを認めるでしょうか。
実際には、この辺のことは史書に書かれていないので、そうしたこともあったのかもしれませんが、普通は、認めないと思われるので、日本の使者たちは東シナ海を横断したのではないでしょうか。

また、「縄文の丸木舟」というものもあります。
こちらは、太い木をくりぬいて作る船で、大きなものは全長10メートルを超すものもあり、水に沈まないので比較的安全性の高い船で、縄文時代から存在しています。
本当かは知りませんが、縄文時代の人がこれで太平洋を横断してアメリカの先住民になった、なんて話もあるくらいなので、東シナ海の横断くらいであれば、何とかなるのではないでしょうか。

そんなわけで、技術は昔の方が高かったこともあるということなのですが、それをおいたとしても、中国から日本に渡ることはできたのではないかと考えています。
なぜなら、日本と中国の間にある東シナ海では、海流が日本列島に向けて流れていますし、風も、時期にもよりますが、中国大陸から日本列島へ向かう風が吹いています。

実際、先に挙げた遣唐使の歴史でも、有名どころでは、鑑真という僧侶(航海に何度も失敗して失明したけれど、日本に仏教の戒律を授けるためにやってきて唐招提寺を建てたすごいお坊さんです。)が日本に渡ってきたとき、嵐で難破したけれど、沖縄に流れ着き、その後、奄美諸島を経て日本にやってきていますし、九州に流れ着いた人もいるそうです(Wikipediaの『遣唐使』をご参照ください)。

ですので、殷の人たちが東シナ海を渡って日本に来ることは可能だったと考えられます。

 

縄文時代末期に中国から日本に海を渡ってきた人がいるという証拠はあるの?

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次の論点、中国から日本に渡ってくることができたとして、その証拠はあるのでしょうか
結論から言うと、ある、そうです。

こちらも、1回目の記事でご紹介しましたが、弥生時代が始まる頃、日本には弥生人と呼ばれる人たちがやってきたと考えられています。
現代の日本人は、縄文時代の人骨の特徴と、弥生時代の人骨の特徴を併せ持った骨格を持っていて、それぞれを縄文人、弥生人と言って、この両者が混血して現在の日本人になったと考えられています。

そして、縄文人というのは、3~4万年前、まだ大陸と陸伝いだったころに東南アジア方面からやってきた人たちのこと、弥生人というのは、中国東北部から江南地方(揚子江の南)にかけて住んでいた人たちの特徴を持っていて、弥生時代の始まり頃に日本にやってきたと考えらえれている人たちのことです。
このへんのことについては、『[新装版]アフリカで誕生した人類が日本人になるまで』(溝口優司、SB新書、2020年)が最新の考古学の調査結果を踏まえて記載しています。
とても面白いので、興味がある方は、ぜひ読んでみてください。

そんなわけで、考古学的にも、殷の滅亡の後から周の昭王が亡くなった頃、紀元前1046~977年の頃に、中国に住んでいた人たちが日本にやってきていることが示されています。

これらを総合すると、
紀元前1046~977年の殷の滅亡後から周の昭王が亡くなった頃
殷で広く造られていた「カビ(麹)を利用した酒」を造る技術を持った人たち(=殷の人やその周辺にいた人たち)が日本にやってきた
この「カビ(麹)を利用した酒」が日本酒の起源になった

という結論が出てくるわけです。

朝鮮半島から来たのではないのか?と思う方がいるかもしれません。
殷は山東省の西側に首都のあった国であり、山東省から東に船出すれば、日本ではなく朝鮮半島にたどり着きますので、そういう人たちも多くいたと思われます。
そして、朝鮮半島から日本に来た人もいたとは思いますが、日本に渡ってきた人たちは、中国から日本に直接渡った人の方が多かったと管理人は考えています。

なぜなら、せっかく朝鮮半島に逃れた人たちが、逃れてすぐに日本に移住しようとは考えにくいからです。
まあ、朝鮮半島が住みにくいとか、作物が育たないとかだったら、別の地を求めて日本に、というのもあるかもしれませんが、それは「朝鮮半島に住んでいた人たちが日本にやってきた」のではなく、「朝鮮半島に立ち寄って日本に来た」ということでしょう。

これは、「朝鮮半島経由でやってきた」のは間違いないと思いますが、ただ朝鮮半島を通ったというだけの話で、実質的には「中国から日本に直接渡った」と言えるのではないでしょうか。

この辺のことについては、これはこれで、この「日本酒の起源」と同じくらいのボリュームの記事が欠けてしまいそうなことなので、ここでは措いておきましょう。

 

エピローグ

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以上のことから、日本酒の起源は、中国の殷王朝が滅亡した後の、紀元前1046~977年の殷の滅亡後から周の昭王が亡くなった頃に、殷やその周辺に住んでいた人々がもっていた「カビ(麹)を利用した酒」である、と考えられる、というのが管理人の見解です。

紀元前1046年、周の武王牧野の戦いで殷の紂王を破り、紂王は首都朝歌に戻ったものの自殺、武王は朝歌を占領し、周は殷に代わって中国の支配者となります。

儒学では、紂王は暴君の代表例、周の武王は聖人君子とされており、この時の王朝交代は中央と武王の戦いが起こったくらいの記述のようです。
しかし、近年発掘されている甲骨文からは、それとは異なることが書かれており、もしかすると、王朝交代時につきものの、周による殷の人々の迫害があって、それから逃れるため、殷の人々が東や南の方へと移動していったことも考えられます(周は長安の辺りを本拠地としており、西から殷に攻め込みました)。

さて、周王朝が成立すると、武王は紂王の子供の一人に、殷の都があった地を治めさせます。
同時に、3人の者をその周辺に配置して、反乱を起こさないように監督させます。

しかし、紀元前1043年に武王が亡くなると、その3人の監督者が紂王の子供を担ぎ上げて反乱を起こします。
すると、殷に従っていた山東省の「夷」と呼ばれていた異民族も一緒に立ち上がります。
この反乱は「三監の乱」と呼ばれています。

武王の後に即位した成王と、その補佐していた、武王の弟、周公旦は、討伐に乗り出し、殷と周辺の異民族を滅ぼします。
こうした反乱の鎮圧や異民族討伐の時には、見せしめのために生き残った住民を虐殺したり、奴隷化したりといったことが行われ、それを避けるためにその地から逃亡する人たちが多く出ます。

この時もそうしたことがあったとすると、周は西からやってきたので、これらの人々は東か南に逃げることになります。
東は、朝鮮半島、そして日本南は江蘇省、少し後の春秋時代には呉の国があった地です。
ほとんどの人は陸伝いの江蘇省に逃れたでしょう。

そして、それから50年ほど後、紀元前995年に第4代昭王が即位します。
彼は、山東省の南、淮河(長江・黄河に次ぐ、中国第3の大河。華北と華南の協会とされている)周辺に積極的に遠征し、この地にいた異民族を服属させます。
お決まりのように、ここでも異民族への迫害が行われたと推測され、これを避けるために、人々は南か東へと逃れていったと考えられます。

江蘇省の南は、浙江省、安徽省。
浙江省は、上海の南、少し後の春秋時代には越の国があった地、安徽省は、武漢の東、南京の西にある地で、春秋戦国時代の楚が支配した地です。
そして、江蘇省の東には、日本があります。

この昭王の遠征による迫害を逃れるため、江蘇省にいた人たちの一部は、船に乗って東の方へ向かった
そして、この時、彼らは、自分たちが持っていた、水田や青銅器と、「カビ(麹)を利用した酒」を携えて航海に乗り出した
そして、日本にたどり着いた人たちによって「カビ(麹)を利用した酒」は日本にもたらされ、のちの日本酒になっていった

以上が管理人の推測した日本酒の起源です。

 

終わりに

長い長い考察を終えて、ついに終わりにたどり着きました!
。。。それにしても、とんでもない長文になってしまいまして、恐縮です。
今回は11,000字くらい書いているので、3回で合わせて25,000字くらいになったでしょうか。
文庫本にするのにあと少し、といった字数ですね。

卒業論文(うちの大学は40,000字ほどとされていました)くらいになるかな、と薄々思っていましたが、そこまでいかなくてよかったです^^;
これに史料批判を加えて、もう少し論理を詰めて、体裁を整えたら卒業論文もどきにはなりそうですね。

それはさておき、ここまで読んでいただいた皆様、本当にありがとうございました。
楽しんでいただけたでしょうか。
また、結論についてはどのような感想を持たれたでしょうか。
コメント欄などにお書きいただけると嬉しいです。

この考察は、コロナ禍で図書館めぐりができないので、Amazonで手に入る書籍と、ネット上の原典に関する資料だけを使って考えた考察ではありますが、意外と、事実に迫っているのではないかなと私的には思っています。

この結論を出すのにあたって最も参考になったのが、『日本酒の起源:カビ・麹・酒の系譜 [新版]』です。

この本の中では、微生物学の研究者である著者が、微生物学と歴史学の双方を駆使して、日本酒の起源に迫ったもので、結論としては、朝鮮半島経由で、崇神、応神天皇の頃に伝来した酒造りが日本酒の起源になったと推理しています。

ちょうどこの本を読む少し前に、YouTubeで、水田稲作が朝鮮半島経由というのはありえない、的なサムネの動画を見かけまして。
中身は見ていないのですが、それがひっかかっていたこと、何で読んだかは忘れましたが、水田耕作は中国北部→中国東北地方→北朝鮮→南朝鮮→韓国というルートでは伝わりえない(縄文時代中期以降、寒冷化が進み、弥生時代が始まった頃にはだいぶ寒くなっていたと考えられていて、中国北部・中国東北部・北朝鮮は緯度が高いく冷な地域であるため、当時の稲では水田耕作に向かないと考えられるため)という説が頭の中にあったため、『日本酒の起源:カビ・麹・酒の系譜 [新版]』の結論に疑問を持っていました。

その上で、『[新装版]アフリカで誕生した人類が日本人になるまで』を読み、紀元前10世紀ころに江南地方起源の人たちが日本にやってきた、という仮説を知ったときに、今回の結論のようなことを思いついたのです。

日本酒の起源:カビ・麹・酒の系譜 [新版]』は、正直、管理人と同じような文系人間には、読み飛ばしたくなる理系話が多いので、弱化尿むの大変かもしれませんが、興味深いお話が色々とあります。
また、『[新装版]アフリカで誕生した人類が日本人になるまで』は、文系人間でも読みやすくできているので、こちらは、日本人のルーツとか、そういうのに興味のある人にお勧めの本です。
ぜひ、読んでみてください。

最後までお読みくださいまして、ありがとうございました。
これにて、「日本酒の起源」探索の記事はおしまいです。

次回は、日本酒の起源が縄文時代末期にあったということにちなんで、「縄文明水」という青森県の日本酒をご紹介しようと思います。

今度は、こんな長いうんちくはない(と思います)ので、ぜひ気楽に読んでいただければと思います。

それでは、今回はこの辺で。

 

【参考文献】

日本酒の起源:カビ・麹・酒の系譜 [新版]』(上田誠之助、八坂書房、2020年)

[新装版]アフリカで誕生した人類が日本人になるまで』(溝口優司、SB新書、2020年)

新訂 日本酒の基』(日本酒サービス研究会・酒匠研究会連合会(SSI)著、NPO法人FBO、2018年)

ほろ酔いばなし 酒の日本文化史』(横田弘幸、敬文社、2019年)

日本の食文化史――旧石器時代から現代まで』(石毛直道、岩波書店、2015年)

酒が語る日本史 (河出文庫)』(和歌森太郎、河出書房新社、2013年)

知っておきたい「食」の日本史 (角川ソフィア文庫)』(宮崎正勝、角川学芸出版、2009年)

日本史がおもしろくなる日本酒の話 (サンマーク文庫)』(上杉孝久、サンマーク出版、2014年)

縄文の酒』(桐原健、學生社、2000年)

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