思いがけず見学できた京都御所、紫宸殿で高御座を見る
- 2017/12/4
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こんばんは。
このブログをご覧くださいまして、ありがとうございます。
さて、今回は京都御所に行った時のお話です。
Contents
〇 丸太町通りの日本酒の飲めるお店
二条城見学を終えて、東大手門を出た管理人は烏丸通へ向かいます。
烏丸通には、管理人が以前勤めていた会社の支店があります。
その会社に勤めていた時に、烏丸通は京都の経済の中心地、と聞いていたため、その周辺に飲食店も多くあるだろうと思って、今回の旅では烏丸通を取材しようと考えていました。
そして、二条城見学を終えた後に地図を見て、烏丸通には京都御所があり、二条城からは大通りを1本隔てただけの距離にあるため、そんなに遠くないから寄ってみようかな、くらいの軽い気持ちから京都御所に行くことにしました。
二条城の正門前にある堀川通を渡って、しばらく北に歩き、「堀川丸太町」という交差点で右に曲がって丸太町通りを東に進みながら、お店の調査をしていきます。
このブログを書いていると忘れてしまいますが、一応、この旅の主目的は、日本酒の飲めるお店を調べることですからね^^;
しばらく歩くと、いい感じのお店が見えました。
この、狭い入口、立派な門構えから、なんとなく「いいお店」感を感じます。
こちらは、「京料理 立神」さん。
季節感をたっぷり味わえる京料理と全国各地からえりすぐった日本酒が楽しめるお店です。
この時はよさそうなお店だなあ、と思いつつスルーしましたが、後でWebサイトを見て、寄っておけばよかったなと後悔したお店です。
まあ、一人で、汗をたっぷりかいてみすぼらしい格好で入れるほどの度胸はありませんけど^^;
さらに少し進むと、
またもよさそうなお店が。
こちらは「肉処 一幸」さん。
Webサイトによると、焼肉屋さんなのですが、「肉の本来の”うまみ”にこだわり、お客様にその味をぜひお伝えしたく」あえて、「焼肉」ではなく、「肉処」としたそうです。
そのこだわりは、国産黒毛和牛の中でも特に、若い雌牛の熟成肉に厳選し、定番のロースやカルビだけでなく、天肉(ツラミとも。頬肉です)やホソ(小腸です)といったあまり一般には知られていない部位も取り扱っているのだそうです。
こちらも、寄ろうかなとも思ったのですが、時間が押していたのと、もう少し色々見て、京都ならではのお店がいいなとか、余計なことを考えてしまったため、写真だけにTT
Webサイト上だと日本酒は「大辛口純米酒 大虎」のみとなっていますが、店頭にあったメニュー表を見ると、「オススメ日本酒 600円~」ともありまして、さり気にいい日本酒が楽しめるお店なんじゃないのかなと推察されます。
〇 京都御苑
人と時間とお金があれば一軒一軒寄っていくところですが、あいにく全て無いので、どこに寄っていこうかなと決めかねているうちに、
京都御所のある京都御苑に着いてしまいました。
「京都御苑」は、かつて、鎌倉時代末期の1331年から明治時代が始まる1869年まで約500年間、天皇がお住まいになられていた京都御所がある、東西700m、南北1,300mのほぼ長方形をした広大な公園です。
どれくらい広大かというと、
こちらの案内板にあるように、京都御所の南縁は、御苑の中央付近にあるのですが、この案内板の下の方、池のある辺りから京都御所を撮影すると、
こんな感じに見えるほどです。
管理人、すでに2時間くらい歩きっぱなしではあったものの、歩くことに関しては、比較的体力もあり、早い方です。
が、それでも、この大通りを歩いて、
こちら、京都御所の南縁にある「建礼門」にたどり着くのに7分かかりました。
〇 京都御所
御所にたどり着いて、できたら、中も見学できたらいいけどさすがに無理だよなあ、、、と思いつつも、せっかく来たのだから、御所を一周して帰ろうかなと、西の方から壁伝いに歩いていくと、
あれ?
人が御所の中に入っていきます。
そう、管理人、知らなかったのですが、京都御所では、申し込み不要の通年一般公開がされているのだそうです(月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始、その他行事などがある日を除く)。
日頃の自分の行いのよさのおかげでしょう、と勝手に思い込みつつ、管理人も中に入って見学をすることに。
入り口で荷物検査を受け、
入門証をもらって御所見学です。
御所内は、こちらのパンフレットにあるように、
順路が決まっていまして、順番に見学していくことになります。
まずは南の方に向かって歩いていきます。
中も広いです^^;
ここをしばらく歩いていくと、
京都御所についての解説文が貼ってありました。
〇 京都御所の歴史
京都といえば、『鳴くよウグイス平安京(今はこんな覚え方しないときいたことがありますが^^;)』で、794年に桓武天皇が遷都された都で、京都御所もそれ以来の建物、という風に思われます。
しかし、現在の京都御所は、元々は藤原邦綱という貴族の邸宅を、平安後期の六条天皇や高倉天皇が「里内裏(正式な内裏以外の京都内の場所に置かれた内裏。内裏が火災に遭うと、貴族の邸宅などを一時的に仮の内裏としていた)」として使用した「土御門東洞院殿」が起源になっています。
平安京が造られたころの御所は、京都市のWebサイトによると、「千本丸太町」という、二条城の北西に少し行ったところにあったそうです。
ちなみに、そのサイトによると、平安京の内裏は、794年から1227年までの間14回もの消失、再建を繰り返したそうです。
現在の京都御所も何度も火災により焼失、江戸時代260年間でも6回焼失していて、現在の建物は1855年(安政2年)に、平安時代の内裏の様式に関する研究をもとに建てられているそうです。
現在の京都御所は、1331年に光厳天皇がここで即位をされて以降、1869年(明治2年)に明治天皇が東京に移られるまで天皇のお住まいとして使用された御所で、光厳天皇以降の歴代の天皇はここで、即位の礼をあげられていました。
最後に京都御所で即位されたのは昭和天皇で、実は、今上天皇陛下は東京で即位の礼を行われた初めての天皇なのです。
管理人と同年代以上の人なら覚えているかと思いますが、昭和から平成になったとき、即位の礼を東京で行うため、儀式に必要な京都御所に置かれている高御座を東京まで輸送して、その後、また京都御所に戻した、なんてニュースが流れていたものです。
ちょうど一昨日、12月2日に皇室会議があって天皇陛下の譲位が2019年5月1日に行われることが正式に決定しました。
今度の即位の礼の際にも、おそらく、こちらの京都御所から高御座が東京に運ばれて即位の礼が行われるのでしょうね。
〇 紫宸殿と高御座
さて、話がわき道に逸れてしまいましたが、順路に従って歩いていくと、まず、こちらの建物が見えてきます。
こちらは「御車寄」。
高位の貴族が儀式や天皇との対面のために使用した玄関です。
貴族たちはこちらを通って、その隣にある建物
「諸太夫の間」に通されて、こちらに控えます。
こちらの建物内には襖の絵に因んで左から「虎の間」「鶴の間」「桜の間」と呼ばれる3つの部屋があり、身分によって控える場所が異なっていて、向かって右に行くほど身分が高い人が控えていたそうです。
「諸太夫の間」からさらに南の方に進むと、
工事をしていました。
そして、この壁伝いに進むと左に折れていて、しばらく進むと、
「承明門」、京都御所の中心である紫宸殿の正面にある門に出ます。
残念ながら、こちらの門から中に入ることはできず、その脇にある入り口から入ることになっています。
そちらから入っても、紫宸殿のそばまで行くことはできず、やや離れたところから眺めることになります。
こちらの紫宸殿は、京都御所の正殿で、即位の礼などの重要な儀式はこちらで行われていました。
先ほど触れた、「高御座」もこちらの紫宸殿に置かれていまして、こちらの写真をみると建物内にうっすらと、金色があるのがわかるでしょうか。
拡大してみましょう。
これがおそらく、高御座です。
せっかくなので、パンフレットの記載を載せておきましょう。
あと1年半後くらには、東京の皇居に運ばれるのでしょうか。
この後まだまだ続くのですが、少し長くなってしまったので、記事を改めます。
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