長野県上田市⑥ ―上田城―

 

こんばんは。

ブログも見てくださっている方、ありがとうございます。

今日はクリスマスイブ、非リア充の管理人には1/365日にすぎませんが、世間はキラキラと輝いていますね。
単なる1/365日なので、普通にブログを書いていきます(涙)

さて、前回は西の隅櫓から眞田神社の前を通って、東の櫓門に向かうところで終わりました。今回はその、東の櫓門です。

これがその東の櫓門なのですが、…う~ん左右にある櫓が入ってないとつまらない画像ですね。
この門をくぐって二の丸側から見るとこんな感じになります。

北側の櫓が切れてしまっていますが、南北にある櫓に挟まれた門です。
この北側の櫓の土台となっている石垣には、「真田石」という大きな石があります。

写真ではちょっと見えないですが、建て替えられている立札には、

「大手の石垣に巨石を用いる例は多く、城主はその権威を示すために、大きさを競ったという。真田石は、真田信之が松代に移封を命じられた際に、父の形見として持っていこうとしたが、微動だにしなかったという伝承がある。現在ある石垣は仙谷忠政が造ったものであるが、真田氏に寄せる人々の敬愛の情がうかがえる伝承である」

と書いてあります。
歴史の色々なエピソードって、多くはこのように、後で作られたものみたいですね。
でも、そのエピソードも、実は本当だったかもしれないですし、なにしろ、それを否定する決定的な証拠もないわけですから、真田信之がこの石の前で涙を流した、なんて想像したりするのもいいのかもしれませんね。

さて、この櫓門に通じる道、10月に訪れたときは、真田幸村の鎧兜をつけた人が記念撮影に応じてくれていました。
12月は、その時よりも少し早い時間に行ってみたのですが、幸村さんはいませんでした。
さらに東に進むと、屋台がずらっと並んでいるところがあって、10月には、人でいっぱいだったのですが、12月はこんな感じでした。

寒いから観光客が外で飲食なんてしてられない、ということなのでしょうかね。
ちなみに、この屋台の向かい側には、「大河ドラマ館」というものがありまして、VRを使った面白い展示などがあるそうですが、時間の関係上、スルーです。

さて、言い忘れましたが、櫓門をくぐると、そこは二の丸です。この二の丸を道なりに歩いていくと、「二の丸橋」に通じる虎口跡が見えてきます。

石垣の上に見える赤い建物は鐘楼です。
こちらの鐘は文献では1677年に初めて見えるそうですが、おそらくは、その前から存在していたようです。
しかし、第二次世界大戦のときに軍に徴発され、それ以降長らく鐘楼のみが寂しく建っていたそうです。
1972年に全上田市民の協賛によって鐘が再現され、「平和の鐘」と名づけられたそうです。再びこの鐘が戦争のために失われるようなことがありませんように、という願いの込められた鐘なんですね。

さて、先ほどの石垣の写真で石垣の間を通ると、「二の丸橋」に出ます。

正面に見えるのは「上田市観光会館」で、この中に、真田幸村の騎馬武者像があります。

これで、上田市の初回ブログに載せた写真のところに戻ってきたわけです。

上田城の二の丸は北の方にも広がっているのですが、そちらの方まで足を延ばす人はあまりいない感じです。
ちなみに、北の方は公園になっていて、動物園があったりします。
そうした中に、こうした石垣の遺跡などが残っていたりします。


※写真を追加しました。

が、ひとまずは、これにて、上田城散策はおしまいです。

次回は、上田市内に行ってみます。

 

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