長野県上田市⑤ ―上田城―
- 2016/12/19
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こんばんは。
このブログをご覧いただきまして、ありがとうございます。
今日(これをupしている時には昨日になってますが)で真田丸も最終回を迎えましたね。が、こちらのブログはもうしばらく、真田家ゆかりの上田の記事が続きます。
前回は、西から上田城の二の丸に入り、本丸への入り口の前まで行ったところで終わっていますので、本日は本丸の記事です。
前回の最後に掲載した写真の石垣の横を抜けると本丸です。本丸に入ると、すぐに目につくのは、
眞田神社です。こちらの御祭神はもちろん、真田昌幸・幸村親子、と歴代の上田城主たち。
もともとはこちらの神社、明治時代に維新までの藩主松平氏の代々の当主を祭るために建てられた神社だそうで、当初は「松平(しょうへい)神社」と呼ばれていたそうです。戦後、上田市の礎を築き、その知略によって上田市を日本中に知らしめた真田昌幸・幸村と、関ケ原の合戦後に破却された上田城を復興させて、上田の発展に尽力した仙谷氏も併せてお祭りしようという声が起こり、1953年に真田氏と仙谷氏を合祀して、名前も「上田神社」と改められたそうです。しかし、同じ名前の神社がかつて市内にあったそうで、初代城主の真田氏の名を冠して1963年に「眞田神社」と改められたそうです。(眞田神社のHPを参照しました。)
さて、一方の左側を見ると、こんな風になっています。
そう、広場です。かつてはここに政庁などがあったのかもしれませんが、現在は公園のような感じです。江戸城なども、本丸は広大な芝の広場になっていますよね。
この広場を左にずっと行くと、土塀があります。この土塀の四隅には、昔は櫓があったそうですが、北の方の隅櫓は、現在はその痕跡もありません。こんな感じです。
堀の向こうには駐車場、そして、上田市の市街地が広がっています。
この土塀をたどって南の方に行くと、櫓と櫓門が見えてきます。
この門は、東の方から、「二の丸橋」を渡って、お城に向かう時に、本丸に入るための門になります。たいていの人は、「二の丸橋」から二の丸に入り、この櫓門を抜けて本丸に入ってくると思います。管理人、特に意識はしていないのですが、人とは異なることをする癖があるようで、西の方から入るという、初めて訪れる人がやらない順路をたどってしまいました。
それはさておき、この櫓門に向かって右を見ると、
と、「眞田神社」の鳥居が見えます。その横を見ると、
「承知いたしました。」と心の中でつぶやいて、アプリを終了させてから、鳥居をくぐります。すると、
真田幸村の兜、「鹿角脇立朱塗兜」です。真田幸村と言えばこれですよね。かっこいいです。
そして、こちらが「眞田神社」の拝殿です。
この拝殿の左横を抜けると、二の丸に入る時に見上げた西の隅櫓があります。そこでそちらに歩いていくと、
こちらは「眞田井戸」といい、抜け穴になっているのだとか。
さらに進むと、隅櫓が見えてきます。
この階段を上ると、今度は、上田市の南側を見晴らせます。
そして、来るときに見上げた「尼ヶ淵」の崖、見下ろしたのが左の画像、本丸から二の丸への入り口が右の画像です。
こうしてお城に来るといつも思うのですが、攻城戦の体験ゲームとかやったら面白いだろうなあ、て。
まあ、本物のお城でやると石垣や建物が壊れるのでやれませんけど、そんな攻城戦ができるテーマパークとかできたらいいな、なんて。
いつか、起業して成功したら、そんなの作りたいなと、思ったりします。子供も、遊びを通じて歴史好きになるんじゃないかな、なんて。
さて、櫓内に入ってみたいなとも思うものの、明日は仕事で東京に帰らないといけない管理人、後ろ髪ひかれる思いを持ちながら、階段を降ります。
次に目指すは、この写真の先にある櫓門です。
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