すれ違うことのない不思議なお堂。飯盛山のさざえ堂
- 2017/5/25
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こんばんは。このブログをご覧くださいまして、ありがとうございます。
今週は仕事が一息つき、しばし、定時帰りができるため、平日更新してみました☆
さて、前回は白虎隊のお話で、戸ノ口堰用水の洞窟を通って白虎隊は飯盛山にたどり着き、自刃したお話をしました。
今回は、会津の旅編の最後になるのですが、締めの話題として、その洞窟のそばにある、「さざえ堂」のお話をしたいと思います。
Contents
〇 さざえ堂
前回の記事で白虎隊は、こちらの洞窟を通って飯盛山にたどり着いた、というお話をしました。
ここから南の方に行くとお城が見える、自刃の地に着くのですが、実は、その途中、洞窟からほど近いところに「さざえ堂」という建物があります。
それがこちら。
飯盛山を普通に見て回ると、白虎隊士のお墓を先に詣でてから、さざえ堂に至り、その後に、洞窟を見ることになります。
〇 さざえ堂とは
この「さざえ堂」は、観音像が置かれているお寺の施設なのですが、面白いことに、このお堂の内部、上りと下りが別の通路になっていて、他の人とすれ違うことなくお参りができる、らせん構造を持った建物なのです。
しかも、仏教では右繞三匝(うにょうさんぞう、右回りで3回めぐる)という礼法があるそうですが(大涅槃経という、釈迦の最後の様子を記したお経では、亡くなった釈迦を火葬する際に、弟子たちが釈迦の遺体が置かれた薪の周りを右肩を向けて3回周ったとあるので、最高の礼を尽くすことになるのでしょう)、こちらのお堂は、右回りに3回めぐって参拝できるようになっていて、最高の礼式で観音像をお参りできる珍しいお堂なのだそうです。
ちなみに、正式名は、そのように右繞三匝できることから、「円通三匝堂」と言うのですが、その螺旋構造と外観がさざえの壺の構造を連想させるため、「栄螺堂(さざえどう)」と呼ばれるのだそうです。
〇 さざえ堂の中
こちら、お堂の正面から撮った写真ですが、確かに、外観からねじれていて、さざえっぽい、といえばそんな感じですよね。
こちらがその入り口。
順路が左に曲がっているのがわかりますね。
ちなみに、入り口左に「大正天皇」とありますが、こちらのお堂には、大正天皇、昭和天皇、今上天皇が皇太子の時に訪れたことがある、ということを記念したプレートです。
中は右回りに通路が作られていて、人ひとりが通れるほどの幅になっています。
そして、最上階はこんな感じです。
上に天井、下に階段があり、階段の先は下りの通路になっていて、入り口の裏手に出てくるのです。
管理人の後から登ってきた人たちもいましたが、お堂の中では一度も会うことはありませんでした。
こちらの「さざえ堂」は重要文化財に指定されていますが、こうしたらせん構造を持つ「さざえ堂」は、関東・東北で江戸時代後期に建てられたものだそうです。
会津のサザエ堂は1796年に建てられたもので、幕末戊辰戦争の時にも存在していて、一時期、白虎隊士の霊像が安置されていたそうです。
洞窟を潜り抜けて飯盛山の中腹を目指した白虎隊士たちを、このお堂は見つめていたのでしょうか。。。
その後、駐車場に戻るまでの間に、白虎隊に関する記念館に寄って、一通り展示を見てから、17時前に車に戻り、この日予約していた温泉旅館に向かいました。
翌日は福島市に行って、お店の調査をし、お昼に福島市で有名な餃子屋さん「餃子 照井」で名物の「円盤餃子」のハーフを食べてから帰途につき、途中、宇都宮で取材と「宇都宮餃子館」で宇都宮餃子をいただいて、帰りました。
会津の主要な観光スポットは訪れたけど、時間が押していて、周り切れなかったな、というのが正直な感想でした。
どこもそうですが、どこにも歴史があって、とても興味深いものに出会える、それが旅の楽しみなんだなあと、この会津でもしみじみと思いました。
また時間と、何よりお金ができたら、またぜひ、訪れたいなと、そう思わせてくれる会津の旅でした。
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