日本酒の飲めるお店取材の旅 ― 会津若松城 ―
- 2017/4/24
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こんばんは。
このブログをご覧くださいまして、ありがとうございます。
前回のブログでは、岩代国一宮、伊須佐美神社の紹介でした。
今回は、会津と言えばこちら、という感じの「会津若松城」のお話です。
伊須佐美神社へのお参りを済ませた管理人は、会津若松城へ向かいます。
会津若松城は、伊須佐美神社から見ると東北東の方角にあり、6~7kmほど離れた、会津若松市の中心部にあります。
休日のため、道路が渋滞していまして、13:30前に伊須佐美神社を出発して、お城の「北出丸」から入って、「西出丸」にある駐車場に車を停めることができたのが14時過ぎくらいでした。
駐車場のある、この「西出丸」は会津若松城の本丸への西側の入り口であると同時に、西側の防御施設でもあります。
会津若松城の本丸は水堀で囲まれていて、南側は堀のみ、東側には橋が架けられていて、北と西に「出丸」と呼ばれる石垣で囲われた曲輪が配されており、城内に入る際は、北、西の出丸か、東側の橋を渡って入ります。
この、西出丸に車で入ったわけですが、道幅は一車線に歩行者が通れるくらいの狭めのスペースが左右にあるくらいの感じ、石垣は高く積まれ5mくらいの高さはあるのでしょうか、圧迫感がすごくありました。
さて、この西出丸から、土橋、というには幅のある土橋を通って本丸に向かいます。
途中には、上田城にもあった、鐘楼があります。
案内文には、幕末戊辰戦争の際には、この鐘楼に明治政府軍の砲撃が集中し、時を知らせる鐘を打つ時守が相次いで倒れましたが、落城の間際まで、正確に時を告げ続けていたのだそうです。
そして、前方にさらに進むと、会津若松城の天守閣が見えてきます。
暗くてわかりにくいですが、白い天守閣の下の石垣は南と東の方向に伸びています。
南側に行くと、会津若松城の写真で典型的な、走り長屋が見えます。こちらです(南側から撮影した写真になります。)。
一般によく見られるのはこの走長屋を北側から撮ったこんな感じの写真でしょうか。
この写真の右側は、今では芝生の広場になっていますが、江戸時代は、ここに城主が日常生活を送る御殿がありまして、この左側には表門になる「鉄門(くろがねもん)」と呼ばれる門があります(この写真は、本丸側から撮影したものになります)。
そして、こちらが、本丸の外側から撮影したもの。
う~ん、暗い、下手^^;
昔はこちらの方から本丸に入っていたようですが、現在はそんな感じではなく、東の方へと案内されます。
しばらく進むと、石垣が切れて右側に開いています。
石垣に沿って進むと、目の前には広い芝生の広場があり、右を見ると、
天守閣とその入り口があります。
この写真の右側にある赤みを帯びた屋根のところで入場料を払って、写真真ん中、松の木で見えなくなっていますが、ここにある入り口から場内に入ります。
残念ながら、場内は最上階を除いて、写真撮影禁止なので写真は一枚もありませんが、場内では常設展があって、江戸時代から幕末、明治初期にかけての様々な資料が展示されています。
ちなみに、最上階からの眺めはこんな感じです(おそらく、北東方向を撮影したもの)。
こちらは、本丸御殿があった広場。
こちらは、鉄門。
天守閣を一通り見て、外に出るときは、走長屋を通って出ます。
ここには何があるかというと、売店があります。
地元の名産品やお菓子などが置かれていて、観光客だとついつい買いたくなってしまうようになっています。
この走長屋、現代的な素晴らしい城郭施設になっています^^;
もちろん、管理人もここでお土産買いました☆
さて、走長屋を出た管理人、東の方に向かいました。
ここには、茶室があるのです、全景写真は撮り忘れてしまいましたが^^;
参考まで、こんな感じです。
また、その近くには、「荒城の月」の碑があります。
音楽の方は、作曲者滝廉太郎の故郷、大分県竹田市にある「岡城」、そして、詩の方、作詞者土井晩翠の方は、自信の故郷、仙台市にある青葉城と荒れ果てた会津若松城をモチーフに作詞したのだそうです。
そして、広場の北側でフリーマーケットが開かれていたのでそこを眺めて、東の虎口から場外へ、こちらがその東側の入り口です。
この両側に見える石垣は、西側や北側と違って、東側と本丸の間は高低差がないため、防御力を高めるために造られた石垣だそうで、高さ20mもあり、場内で最も高い石垣なのだそうです。
この橋を渡り切ったところが二の丸、その二の丸をぐるっと水堀が囲んでいて、その堀の東側に三の丸があったのだそうです。
時間も押していたため、橋を渡って二の丸に入り、そこで南の方に向かい、お城をぐるっと囲むお堀の外をめぐって、車を停めてある西出丸に戻りました。
会津若松城は総構えを取っておらず、北は北出丸、東は三の丸、南は湯川、または本丸を囲むお堀、西は西出丸までが城域であったようで、それほど大きなお城ではなかったようですが、それでも、戊辰戦争の時には、明治政府軍を城の中に一歩も入れず、降伏開城しています。
今ではそんなすごいお城には見えませんが、出丸の石垣や20mの高さの石垣など、何気ないけれど、このお城を作った人たちが最高の知恵と技術で作り上げたものが、そうした結果・事実を生み出したのだなと、今は戦争の面影もなく、美しい城を見ていて、ふと思いました。
本当に、平和な世の中に生まれてよかったなと。
そんなことを思いつつ、会津若松城を離れました。
次回は、ようやく「日本酒の飲めるお店取材の旅」らしく、会津若松市のお店に入ったときの話です☆
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